今日3月26日は、後鳥羽上皇の命によって編まれた和歌集『新古今和歌集』が、鎌倉時代初期の1205年にまとめられた日です。
『新古今和歌集』の選者は、当時を代表する歌人で、小倉百人一首を編さんしたとされる 藤原定家 をはじめとする5名で、定家の父俊成によって提唱された幽玄・有心の概念を、定家が発展させた歌「春の夜の夢の浮橋とだえして峯に別るる横雲の空」に代表されるような「余情妖艶体」が反映されていること、「体言止」「倒置法」「省略法」など複雑に工夫された技巧などに特徴があるといわれています。
『新古今和歌集』は、『万葉集』『古今和歌集』とともに、日本3大和歌集の一つで、「古今集」以来の和歌の伝統を引き継ぎながら、独自の美世界を表現し、和歌ばかりでなく後世の連歌・俳諧・謡曲に大きな影響を残しました。
歌の数はおよそ2000首。春、夏、秋、冬、哀傷、離別などに分けられ、鎌倉幕府成立以降、武士たちに政治の実権を奪われた貴族社会が衰退していく中での、滅びや自然への哀調を描いた歌が数多くあります。
この日の発表後も、後鳥羽上皇はさらに削除や補足を行い、1221年に鎌倉幕府の存在を苦々しく思っておこした「承久の乱」に敗れ、隠岐の島に流された後もこの和歌集に18年間も手を加え続け、「約400首ほど除いたものこそ正統な新古今和歌集」という詔を出しましたが、現在はこの日にまとめられたものを正統な『新古今和歌集』としているようです。
「3月26日にあった主なできごと」
1827年 ベートーベン死去…『交響曲第5番』(運命)『交響曲第9番』(合唱)などの交響曲、『月光』『悲愴』などのピアノ曲のほか、管弦楽曲、歌劇、声楽曲など各方面にわたるかずかずの作品を遺した、クラシック音楽史上最も偉大な作曲家の一人であるドイツの作曲家 ベートーベン が亡くなりました。