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一向宗の蓮如

今日3月25日は、親鸞 が開いた浄土真宗の教えを、わかりやすい言葉で民衆の心をとらえ、真宗を再興させて「中興の祖」といわれる蓮如(れんにょ)が、1499年に亡くなった日です。

蓮如は1415年、京都の本願寺第七世の子として、東山の大谷に生まれました。鎌倉時代に、救いを求める農民らを中心に、貧しい人たちに目を向けて信者を増やしてきた浄土真宗でしたが、その勢いはかなりおとろえていて、本願寺もさびれた寺でしかありませんでした。

若い頃、浄土真宗の教義の勉強にはげんだ蓮如は、43歳で父親の後を次いで本願寺第八世になり、その建て直しに力をそそぎはじめました。そのやり方には独自の手法がありました。真宗の教えを、かな書きのやさしい言葉でつづり、『御文章』とか『正信偈(しょうしんげ)』とよばれる手紙形式で広めたことです。全部で266通にもなり、文書による伝道の役割をはたしました。

また、足まめに各地を歩いて布教を心がけたため、しだいに浄土真宗は大衆にみなおされていきました。さらに蓮如は、27歳で最初に結婚してから、生涯で5人を妻にして、13男14女計27人の子どもをもうけ、男の子は各地の重要拠点の寺に配置し、女の子は有力寺院などに嫁がせて、一気に全国的に勢力を拡大させていきました。

この勢いに危機感をいだいたのが、天台宗の総本山である比叡山の僧たちです。本願寺を襲って、寺を焼き払ったのです。蓮如は近江へのがれさらに北陸をめざし、1471年、石川と福井の県境にある吉崎に道場を作りました。まもなく、農民や商人、武士のあいだにまで門徒を増やしていき、御堂にはまたたくまに支坊ができ、群衆でみちあふれるほどのにぎわいとなりました。

そのころ、加賀の守護富樫政親が大名になろうという野心を持ちましたが、門徒たち(「一向宗」とよばれていました)は、これに反対をとなえて、一揆をおこしました。そして1487年に富樫氏を倒し、これ以後90年間にわたる「門徒持ち(百姓持ち)の国」として加賀の国を治め続けました。これが歴史的にも有名な「一向一揆」です。

蓮如は、政治的にも優れた人物だったと同時に思想的にも優れた宗教家でした。俗を捨てて聖になろうとする心には、民衆を切り捨ててしまう矛盾のあることを知っていました。そして、説法する者と信者を対等と見なして「おかげ」を強調して平等の精神をつらぬき、平和を願っていました。そのため蓮如は、一揆のおこる前に吉崎を去り、京都の山科に山科本願寺を建てました。

その後、いまの大阪城のある場所に石山本願寺を建てるなど、本願寺教団の基礎を築き、乱世の行動家として85年の生涯を閉じました。


「3月25日にあった主なできごと」

1872年 樋口一葉誕生…「たけくらべ」「十三夜」「にごりえ」などの名作を残し、わずか24歳で亡くなった作家 樋口一葉 が生まれました。

1878年 初の電灯…この日中央電信局が開設され、その祝賀会でわが国初の電灯としてアーク灯が15分ほど灯りました。ただし、一般の人が電灯を見たのは4年半後に銀座通りにアーク灯がついてからでした。一般家庭で電灯がつくようになったのは1887年11月のことです。

1957年 EECの結成…EEC(ヨーロッパ経済共同体)は、この日、フランス、西ドイツ、イタリア、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク6か国の代表がローマに集まって、結成するための「ローマ条約」を結びました。1958年1月からEECは正式発足しましたが、その経済面での発展はめざましいもので、ヨーロッパ経済の中心となるばかりでなく、EC(ヨーロッパ共同体)、さらにEU(ヨーロッパ連合)となっていきました。EUの加盟国は、2007年1月にブルガリアとルーマニアが加盟したことにより現在27か国。EUを単一国家とすると、GDPはアメリカ合衆国を上回って世界第1位となっています。

投稿日:2010年03月25日(木) 09:14

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)