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「チボー家の人々」

今日3月23日は、『チボー家の人々』でノーベル文学賞を受けたフランスの小説家マルタン・デュ・ガールが、1881年に生まれた日です。

パリ郊外にあったデュ・ガール家は敬虔なカトリックで、代々法律を専門にあつかうブルジョワ家庭でした。

そのため両親はデュ・ガールに、法律の道を歩むことを望みましたが、17歳の時にロシアの文豪トルストイ『戦争と平和』に感銘を受けて、小説家になることを決意しました。デュ・ガールは両親の期待から逃れるため、古文書学校に入学しました。この時に身につけた厳密な考証法は、デュ・ガールの執筆のスタイルとして定着したといわれます。

古文書学校卒業してすぐに、執筆活動に入りましたが、なかなか世間に認められる作品を書けません。1913年32歳の時に発表した長編小説『ジャン・バロワ』で、ようやく文壇デビューを果たしました。ところが、まもなく勃発した第1次世界大戦に従軍、4年間にわたって、自動車輸送班として参戦しました。

代表作となる長編小説『チボー家の人々』は、復員後に取り組んだ大作です。1920年の時点で全てのあらすじを考え、1922年から1929年にかけて、計画通り第1部から第6部までを執筆、出版されました。第7部「一九一四年夏」は7年間のブランク後に出版され、これが評価されてノーベル文学賞を獲得しました。そして、最終巻の第8部「エピローグ」が出版されたのは、1940年1月、第2次世界大戦中のことでした。

『チボー家の人々』は、第1次世界大戦という未曾有の戦争を経てもなお、再び同じ過ちがくり返されようとしている不安定な時代におかれた、デュ・ガールの苦闘そのものでした。作者の分身ともいえるジャックとアントワーヌという兄弟を中心に、前半はキリスト教の新旧両教の対立と父の安楽死をテーマに、後半は戦争にのまれていく上流家庭の歴史を描いています。社会の動きや立場の違う人々の生きざまを大きく捕らえようとした作品は、大河小説とよばれ、20世紀前半の最高傑作といわれています。

物語は、次のようにスタートします。

次男のジャックに、中学校で居残りをさせられていると聞かされた父親のチボー氏は、長男アントワーヌを連れて中学校に迎えに行きます。ところが、居残りというのはウソで、教師から信じがたいものを見せられました。それは、一冊の灰色のノートでした。

ジャックと開放的な家に育った友人ダニエルとの心の交流が記された、秘密の交換ノートでした。日ごろから親や教師に反抗していたジャックは、教師がこのノートを自分の持ち物の中から無断で見つけ出して読んだことに激しく怒り、ダニエルを誘って家出を企てます。

カトリックの実業家で名門チボー家の息子が、プロテスタントの人間と家出まで企てたと知ったチボー氏は大激怒。全力をあげて行方を追いました。そして、二人はマルセイユで捕えられ、チボー氏は、ジャックを少年感化院にいれてしまいます……。


「3月23日にあった主なできごと」

1910年 黒沢明誕生…映画『羅生門』でベネチア国際映画祭でグランプリを獲得した他、『七人の侍』『生きる』『椿三十郎』など、数多くの映画作品の監督・脚本を手がけ、国際的にも「世界のクロサワ」と評された 黒沢明 が生まれました。

投稿日:2010年03月23日(火) 04:23

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)