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アフリカの聖者・リビングストン

今日3月19日は、文化の灯から閉ざされたアフリカ原住民たちへ深い愛を注いだ、イギリスの宣教師で探検家のリビングストンが、1813年に生まれた日です。

デービッド・リビングストンは、スコットランドの貧しい家庭に生まれました。けれど、両親の愛につつまれた暖かい家庭でした。10歳になると紡績工場で働きはじめ、朝6時から夜8時までの仕事の後、夜学にかよって勉強をつづけるほどの頑張りやでした。

植物採集に興味を持ち、ひとりで山を歩いたり、人びとが近よらない古城を探検するなど、行動しながら学ぶという習慣を、しっかり身につけていきました。科学や宗教、旅行の本などを読むうちに、しだいに、外国の人びとの生活を真剣に考えるようになりました。

独学でグラスゴー大学へ進み、医学、神学を学び、宣教師となったリビングストンでしたが、医療伝道師として外国へ行きたいという夢を捨てきれず、1840年12月、ロンドンの港を出帆しました。当初行きたかった中国へは、イギリスと中国間の戦争(アヘン戦争)が起きたためにかなわず、めざしたのはアフリカ大陸でした。

5か月めにアフリカ南海岸に上陸したリビングストンは、2か月かかって、1000キロ奥のクルマンという村へたどりつきました。長い旅のつかれも忘れて、すぐ病気の黒人たちにあたたかい手をさしのべました。アフリカの言葉の勉強も始め、半年で黒人と話ができるようになると、さらに奥地へと入って行きました。

アフリカへきて4年目にリビングストンは、やはりこの地へきていたキリスト教宣教師の娘メアリーと結婚。ふたりで協力して小さな学校を建て、黒人たちに、神のことや、物を作ることや、数をかぞえることなどを教えました。

1852年、黒人たちと隊を組んだリビングストンは、本格的な探検を開始。これまでのアフリカの地図にはなかったザンベジ川、ヌガミ湖、世界最大のビクトリア滝などを発見したことで、世界的に有名になりました。

1866年、ナイル川の水源地を探るために3度目の探検に出かけた時、リビングストンは、ルアラバ川がナイル川とつながっていると予測して、詳しい調査を開始しました。ところが、長い探検生活からか体調を崩し、タンガニーカ湖のそばのウジジという村で静養を余儀なくされてしまいました。

その間、ヨーロッパをはじめ全世界に「リビングストンは死んだ」といううわさが流れていました。奴隷貿易反対をさけんでいたリビングストンに不満を持っていた人たちのデマでした。「アフリカの聖者」をこのままにはしておけないと、アメリカのニューヨーク・ヘラルド新聞社の記者スタンリーは、生死を確かめるため200名もの従者をひきつれて探索、1871年11月10日、ウジジで劇的な出会いを果たしたのでした。

なお、リビングストンの詳しい生涯につきましては、いずみ書房のホームページで公開しているオンラインブック「せかい伝記図書館」第10巻 「リビングストン」 をぜひご覧ください。


「3月19日にあった主なできごと」

1838年 後藤象二郎誕生…土佐藩士で、坂本龍馬 に勧められた大政奉還を藩主山内容堂に進言し、その実現に寄与した後藤象二郎が生まれました。後藤は、明治新政府では参議などをつとめ、板垣退助 らと自由党を結成しました。

投稿日:2010年03月19日(金) 09:12

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)