空気を強く圧縮すると高い温度になります。この原理を応用して、空気を圧縮した筒のなかに液体の燃料を噴射して自然発火させ、爆発力でピストンを動かすエンジンが、1897年に発明されました。今日3月18日は、そのエンジンを発明したディーゼルが生まれた日です。
ルドルフ・ディーゼルは、フランスのパリに生まれました。両親ともドイツ人で、父はパリの皮革工場の労働者でした。幼いころから機械がだいすきだったディーゼルは、ひまさえあれば技術博物館へ通って、あきずに機械をながめていました。
1870年の7月、フランスとドイツのあいだで普仏戦争が起こり、一家は危険をさけてイギリスへ渡りました。やがて戦争が終わると、ディーゼルは、ドイツのミュンヘン工業大学へ進むことになりました。父が、機械ずきのわが子の才能を、故国ドイツの大学でのばしてやろうと考えたのです。
「おとうさんありがとう。りっぱな技術者になってみせます」
ディーゼルは目を輝かせて勉強にはげみました。そして、蒸気機関では、石炭の熱エネルギーがわずか20パーセントさえ生かされていないことを知り、エネルギーをむだにしない新しい動力機関の研究にとりくみました。
大学を卒業すると、高い圧力やアンモニアを研究するために、パリへでて冷凍工場の技師になりました。そして、アンモニアの蒸気を使った蒸気機関をつくろうと考えましたが、この研究は実をむすびませんでした。
そのころ、同じドイツ人のダイムラーによって、ガソリンエンジンが発明され、ディーゼルは、このすばらしい発明に目をみはりました。でも、自分の発明はなげだしませんでした。
「ガソリンエンジンは、電気の火花で点火しなければならない。でも、点火させずにすむ方法があるはずだ」
ディーゼルは、もういちどドイツへ帰り、それから10年ものあいだ、何度も失敗をくり返しながら実験をかさねて、38歳のとき、ついに力強い新エンジンを発明したのです。
1912年に、ディーゼルエンジンをつけた世界で初めての船が造られました。ところが、そのよく年にイギリスのエンジン工場の視察にでかけたディーゼルは、船の上から、とつぜんすがたを消してしまいました。あやまって海に落ちたのか自殺したのか、それはいまも、なぞにつつまれたままです。
ディーゼルエンジンは、そのご重油という安い燃料の普及で、世界の乗り物や産業にひろく用いられるようになりました。
「3月18日にあった主なできごと」
724年 柿本人麻呂死去…飛鳥時代の歌人で、山部赤人らとともに歌聖と称えられている柿本人麻呂は生没年不詳ですが、亡くなったとされる日のひとつです。
1871年 パリ・コミューン…普仏戦争の敗戦後のこの日、パリに労働者の代表たちによる「社会・人民共和国」いわゆるパリ・コミューンが組織されました。正式成立は3月29日で、5月28日に政府軍の反撃にあってわずか72日間でつぶれてしまいましたが、民衆が蜂起して誕生した革命政府であること、世界初の労働者階級の自治による民主国家で、短期間のうちに実行に移された革新的な政策(教会と国家の政教分離、無償の義務教育、女性参政権など)は、その後の世界に多くの影響をあたえました。