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千年の都を開いた桓武天皇

794年から1869年までの千年以上も、日本の都として京都に平安京がおかれていました。今日3月17日は、この平安京を開いた日本の第50代天皇 桓武天皇が、806年に亡くなった日です。

桓武天皇は、光仁天皇の皇子として737年に生まれ、山部王とよばれました。しかし、初めは、天皇のあとをつぐ皇太子にはなれませんでした。母が渡来人の子孫で、純粋な日本人ではなかったからです。

ところが、皇太子の他戸親王が朝廷を追われる事件が起こり、山部王は36歳で皇太子になりました。そして8年後に、天皇の位についたのです。

桓武天皇は、才能のある人びとを重く用いて、秩序のととのった正しい政治を、力強く進めていきました。

「貴族や僧が自分の財産をふやすことばかり考え、国の政治が乱れている。都を移し、心をいれかえて新しい政治を始めよう」

天皇になって4年めの784年には、都を、それまでの大和国(奈良)の平城京から山背国(京都)の長岡京へ移して、新しい都づくりを始めました。でも、およそ8年後には、この長岡京の建設を中止してしまいました。都をつくる指揮をしていた藤原種継の暗殺、その暗殺事件にかかわっていたと疑われた、天皇の弟の早良親王の自殺、そのうえ、早良親王のたたりのように皇族の不幸や悪い病気の流行がつづいたからです。

793年、桓武天皇は平安京を新しい都に定めて、ふたたび大きな都市づくりを始めました。そして、翌年には早くも都を移し、それからおよそ10年、くる日もくる日も、宮殿、寺院、町、道路などの建設を進めました。

平安京をととのえながら、桓武天皇は、もうひとつ、大きな事業にとりくみました。そのころ東北地方では、むかしからそこに住む蝦夷が、朝廷にはむかって反乱を起こしていました。日本の統一を願った天皇は、3度にわたって軍勢を送り、3度めには 坂上田村麻呂 を征夷大将軍に任命して、蝦夷を討たせたのです。

しかし、桓武天皇は、805年には、都づくりも蝦夷との戦いも、やめてしまいました。

「国の大事業にかりだされるのは、いつも農民たちです。農民たちが国のぎせいになって苦しんでいます」

貴族の藤原緒嗣がこのように訴えると、天皇は、その忠告をすなおに聞き入れたのだといわれています。桓武天皇が亡くなったのは、こうして事業を中止した、つぎの年でした。


「3月17日にあった主なできごと」

1220年 サマルカンド征服…この日、モンゴルの征服者 チンギス・ハン は、インドから黒海に至る交通路を占めホラズム・シャー朝の首都(現・ウズベキスタン)として繁栄していたサマルカンドを徹底的に破壊し、数十万という人口の3/4が殺されました。

1836年 ダイムラー誕生…ドイツの技術者で、自動車開発のパイオニアと讃えられるダイムラーが生まれました。

1945年 硫黄島玉砕…2か月ほど前から小笠原諸島の南西にある硫黄島において日本軍とアメリカ軍との間に生じていた戦闘は、この日、アメリカ軍は猛爆を加え、日本軍は守備兵力2万余名のほとんどが戦死、アメリカ軍に島を奪取されてしまいました。このため、アメリカ軍は日本本土空襲のの理想的な中間基地を手に入れ、東京大空襲(1945年3月10日)、名古屋大空襲(12日)、大阪大空襲(13日)を続けざまに実施、日本軍は、勝ち目のほとんどない絶望的な本土戦を余儀なくされました。

投稿日:2010年03月17日(水) 09:32

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)