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メルカトル図法

今日3月5日は、私たちが日ごろ一番よく目にする地図「メルカトル図法」の考案者として知られるメルカトルが、1512年に生まれた日です。

グラルドゥス・メルカトルは、ベルギーのフランドル地方にあるルペルモンドで生まれました。フランドル地方は古くから商業の中心地として栄え、貿易の中継地として発展しつつありました。

メルカトルは、幼い頃に両親が亡くなったため、親類に育てられながらレーベン大学に入学しました。天文学、地理学、幾何学などを学んで卒業すると、まもなく印刷、地球儀や日時計など科学機器を製造する仕事に従事しました。やがて、地図や海図にも興味をもちはじめました。

ところで、マルコ・ポーロ の「東方見聞録」などに描かれた東洋の富にあこがれたヨーロッパ諸国は、オスマントルコが支配する陸路ではなく、海を渡ってアジアに到達する道をさぐっていました。その中心はポルトガルで、エンリケ航海王子は、アフリカ西部の探検を推し進めました。エンリケ亡き後も探検は引きつがれ、1488年にはディアスがアフリカ南端の喜望峰に到達しました。続いて バスコダ・ガマ は喜望峰を回って、1498年にインド西岸のカリカットに到達しました。

一方、ポルトガルに刺激されたスペインは、イサベラ女王の支援を受けた コロンブス が1492年にアメリカを発見して以来アメリゴ・ベスピッチの大陸探検、さらにスペイン王の援助を受けた マゼラン の艦隊は1519年に西回りの航海の末、太平洋を横断してフィリピンに到達、1522年に帰港して世界周航に成功しました。中南米への進出も本格化させ、1521年にコルテスはアステカ王国を、1533年ピサロはインカ帝国を滅ぼして植民地としました。

メルカトルが活躍した時代は、天文学や地理学の発達に加え、羅針盤が実用化されたことで、「大航海時代」を支える技術的な下地があったのでした。

メルカトルの名前を歴史に残したのは、1569年に考案した「メルカトル図法」(正角円筒図法)です。この図法は、経線と緯線(子午線)が地図の上で直角に交わっているのが特徴。地球儀を縦に置き、立てた円筒に投影し、その円筒を切り開いて平面にした地図といってよいでしょう。この地図は、緯度が高くなるにつれて距離や面積が大きく拡大されてしまうという欠点はありますが、方角は正しくあらわされているため、船の針路を直線で示すときなどにはとても便利で、大航海時代を支える発明の一つとなりました。


「3月5日にあった主なできごと」

1858年 ペリー死去…アメリカ海軍の軍人で、1853年に軍艦をひきいて浦賀沖に来航、江戸幕府に開国をせまった ペリー が亡くなりました。

1929年 山本宣治暗殺…山本宣治は大正・昭和初期の政治家で、山宣(やません)の愛称で親しまれていました。1928年に第1回普通選挙が行われた際、宣治は共産党系の労働農民党から立候補して当選しました。ところが、田中義一内閣は、全国千数百人もの労働農民党員を捕らえ、党の解散を命じたばかりでなく、共産主義者は死刑・無期刑にするという治安維持法の改正をくわだてました。宣治は敢然と反対を叫びましたが、改正案が衆議院を通過したこの夜、宣治の宿泊先に右翼を名乗る男が押しかけ、宣治の胸を刺しました。

1953年 スターリン死去…ソ連の独裁者、共産党指導者、首相、大元帥として活躍した スターリン が亡くなりました。

投稿日:2010年03月05日(金) 09:06

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)