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吉野ヶ里遺跡

1989年2月22日、佐賀県にある「吉野ヶ里遺跡」の発掘調査の結果が発表され、国内最大規模の弥生時代の環濠(かんごう)集落と大々的に報道されました。そのため2月22日は、「吉野ヶ里遺跡で大規模な環濠集落が発見された日」とされています。

「弥生時代」とは、およそ1万2千年前に氷河期が終わり、日本列島が大陸から離れて現在の姿になったころからおよそ1万年間続いた「縄文時代」に続く時代で、3世紀半ばにはじまる古墳時代までをさします。紀元前10世紀〜5世紀ころに中国や朝鮮半島を経由して稲作が伝わったことから始まりました。

縄文時代までは、食糧は自分たちで作るものでなく自然から得るものでした。それが栽培の方法を見つけたことで、毎年ある程度の収穫ができることは、暮らしの上で大きな変革でした。

「弥生」という名称は、1884年に東京文京区にある弥生町の貝塚で発見された土器が、縄文時代の縄目のような模様がついた厚手の縄文(式)土器に対して、網目のない薄手で丈夫な土器だったため、発見地にちなんで弥生(式)土器と呼ばれたことから、このようにいわれるようになりました。

稲作によって、稲が収穫できるようになると、これを保存する場所が必要になりました。低いところにおくと、ねずみに食べられたり、湿気で質が落ちてしまうために、長い間保存のきく高床倉庫が作られました。

弥生時代の代表ともいうべき「吉野ヶ里遺跡」の広さは、およそ40ヘクタール、東京ドームの13倍もある規模で、濠(ほり)に守られた住居地区には、竪穴式住居や高床倉庫をもちろん、物見やぐらや貯蔵穴、土坑、青銅器製造工房などの跡もみつかっています。

さらに、多数の遺体がまとまって埋葬された甕棺や石棺、土坑墓は、一般の人の共同墓地だと考えられています。甕棺にある人骨には、ケガをしたり矢じりが刺さったままのもの、頭のないものまであるため、部落間のはげしい戦があったこともうかがえます。

現在の吉野ヶ里遺跡は、歴史公園として国がその一部を管理する公園となりました。物見やぐらや二重の環濠など、防御的な性格が強く残っているため、日本の城郭の始まりともいわれています。


「2月22日にあった主なできごと」

622年 聖徳太子死去…用明天皇の第二皇子で、推古天皇(叔母)の摂政として、「17条の憲法」「冠位十二階」の制定など、内外の政治を立派に整えた飛鳥時代の政治家 聖徳太子 が亡くなりました。

1732年 ワシントン誕生…イギリスからの独立戦争で総司令官として活躍し、アメリカ合衆国初代大統領となった ワシントン が生まれました。

1810年 ショパン誕生…「ピアノの詩人」といわれ、ピアノの形式、メロディ、和声法など、これまでにない表現方法を切り開いた作曲家 ショパン が生まれました。

1848年 フランス2月革命…フランスの首都パリで、2月革命と呼ばれる革命がおこりました。選挙改革を求める集会が禁止されたことに抗議した労働者や学生がデモ行進やストライキを行ったことで、国王が退位して、第2共和制がスタートしました。革命はヨーロッパ各地に伝わり、ナポレオンの失脚後の「ウィーン体制」(1789年のフランス革命以前の状態を復活させる) の崩壊につながりました。

投稿日:2010年02月22日(月) 09:18

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)