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漢倭奴国王の金印

1784年の2月23日、福岡県の小島・志賀島(しかのしま)の農民が、田んぼの用水路で金印を発見し、黒田藩の殿様に差し出しました。そこには「漢委奴国王」(かんのなのわのこくおう)と彫ってありました。

昨日「吉野ヶ里遺跡」で記した「弥生時代」も、1世紀の頃になると生産力の発達にともなって、貧富の差があらわれはじめ、力の強い部族が弱い部族を滅ぼして、政治的な社会である「国」があちこちに出来てきました。

日本列島のことが、はじめて文献に記されたのは、中国の歴史書である『後漢書』です。当時「後漢」(25〜220年)という王朝が中国を支配していました。その「後漢書」に「楽浪の海中に倭人有り。それ百余国となる」(今の北朝鮮の向こう側の海のかなたに、倭人というものがすんでいる。倭人は100以上の国に分かれている)、さらにその国々の中でも「奴(な)という国は、光武帝という皇帝に貢物をもってやってきた。お返しに、金印を授けた」とあり、それは紀元57年のことでした。

福岡市付近にあった「奴国」は、強大な権力を誇る中国の皇帝から、金印を授けてもらうことで、周囲の国々より優位に立ちたかったのでしょう。後漢の都は、中国北西部にある「洛陽」でした。日本の社会が、朝鮮や中国の先進文明をむさぼるように求めている姿がよくわかるようです。

黒田藩の学者は、この農民の見つけた金印が『後漢書』にある「光武帝が倭の奴国の使者に与えた印」と断定しました。一時は疑問視されましたが、やがてこれが定説になり、1952年に国宝に指定され、現在は福岡市博物館に展示されています。


「2月23日にあった主なできごと」

1685年 ヘンデル誕生…バッハと並びバロック音楽の完成者といわれ、ドイツに生まれイギリスに帰化した作曲家 ヘンデル が生まれました。

1836年 アラモの戦い…アラモの砦に立てこもる182人のアメリカ・フロンティア義勇軍に、3000人ものメキシコ正規軍が攻撃を開始、有名なデイビィ・クロケットらも義勇軍に加わりましたが13日後に全滅。ただし、メキシコ軍にも大打撃を与え、この地にテキサス共和国ができることになりました。そして1845年、テキサスはアメリカ合衆国と合併、テキサス州となりました。

投稿日:2010年02月23日(火) 07:11

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)