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良心の作家アンドレ・ジッド

今日2月19日は、『狭き門』『田園交響曲』『贋金つかい』などを著し、ノーベル賞を受賞したフランスの作家アンドレ・ジッドが、1951年に亡くなった日です。

「キリスト教の教えや、これまで人間が守ってきた社会の道徳は、ほんとうに、どれほど正しいのだろうか」

定められた神の教えや道徳よりも、自分の良心をたいせつにして、自分に正直に生きようとする、人間の心の苦しみを考えつづけたアンドレ・ジッドは、1869年、大学教授で心の広い父と、信仰心が深く厳格な母のあいだに生まれました。

早くに父を亡くし、母の手ひとつで育てられたジッドは、からだが弱く、学校も休みがちで、いつも自分だけの世界にとじこもっているような少年でした。

孤独にすごすことが多かったからでしょうか、早くから人間の心や神について深い興味をいだき、14歳のころには哲学や文学や宗教の本を読みふけるほどでした。文学者として生きることを心に決めたのも、まだ20歳まえのことです。22歳になったジッドは、いとこへの愛の苦しみを告白した『アンドレ・ワルテルの手記』を著わし、作家への道を歩みはじめました。

28歳のときに『地の糧』、33歳のときに『背徳者』を発表して、人びとの心にさまざまな波もんを投げかけました。アフリカへ旅したとき、からだも心もはだかのままに生きる原住民のすがたに心をうたれたジッドは、神に背を向けた自由な人間の生きかたを、小説を通してたたえたからです。

「神の教えに従おうとする心と、自分の思うままに生きようとするようとする心。人間のなかにある、この2つの心のあらそいを、どのようにに解決していったらよいのだろうか」

やがて、人間のこういう心の矛盾を深くほりさげた作品『狭き門』『田園交響楽』『贋金つかい』などを発表すると、作家ジッドの名は世界に広まりました。

「どのように生きるのが、もっとも人間らしい生きかたなのだろうか」ジッドは、自分の疑問を、自分だけでなく世の人びとに問いつづけたのです。

年老いてからのジッドは、ふたたびアフリカへ旅をして、原住民を人間あつかいしない植民地の政治に反対をとなえ、また、ソ連へ行って共産主義に心をよせました。

ジッドは、人間が人間らしく生きていける平和な世界を願いながら、82歳で亡くなりました。1947年にノーベル文学賞を受賞して、4年ごのことでした。

ジッドは「現代の良心」とよばれました。すべてのものを、自分の良心のふるいにかけてつかみだしてみせたからです。


「2月19日にあった主なできごと」

1185年 屋島の戦い…源義経 ひきいる源氏軍は、平氏のたてこもる屋島(現・高松市)が、干潮時には騎馬でわたれることを知ってわずかな兵で強襲を決意。この日、周辺の民家に火をかけて大軍の襲来と見せかて一気に攻めこむと、平氏軍はろうばいして海上へ逃げ出しました。こうして、平氏は瀬戸内海の制圧権を失い、一ノ谷、壇ノ浦の戦いを経て、源平合戦の大勢が決しました。

1473年 コペルニクス誕生…宇宙が太陽を中心として回転しているという「地動説」を唱えた天文学者 コペルニクス が生まれました。

1837年 大塩平八郎の乱…大坂(現大阪)で大坂町奉行所の元与力 大塩平八郎 とその門人は、「幕府の役人の悪政や富商の莫大なもうけを攻撃する」と檄文をまき、多数の富商に火をつけ、大坂の2割を消失させました。乱そのものは小規模でしたが、江戸幕府の弱体ぶりを示した大事件でした。

1972年 あさま山荘事件… 連合赤軍のメンバー5人が、この日河合楽器の保養寮「浅間山荘」に押し入り、管理人の妻を人質に10日間にわたって立てこもりました。

投稿日:2010年02月19日(金) 09:11

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)