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ノアの箱舟

今日2月17日は、「ノアの洪水」の日といわれています。キリスト教の聖典である旧約聖書の「創世記」によると、この洪水は、ノアが600歳のときの2月17日に起きたと記されています。

わが国は、1868年の明治新政府発足以降、ヨーロッパやアメリカ(欧米)からたくさんのことを学びました。そのため、欧米の人たちの多くが信じている「キリスト教」の影響を受けています。

たとえば当たり前のように思っている、月曜から日曜までの一週間が7日間で日曜日が休日なのも、「聖書」の内容からきています。「創世記」の冒頭のところで、神は1日目に昼と夜を作り、2日目に空を、3日目に大地と海と植物を、4日目に太陽と月と星を、5日目に魚と鳥を、6日目に獣と家畜と自分に似せた人間を作り、7日目に神は休んだ……と記されているからです。

この「創世記」6〜9章に記されているのが「ノアの箱舟」の話で、人類のはじまりであるアダムから数えて10代目のノアとノアの一族だけが大洪水から生き延びた物語で、こんな内容です。

今から4500年ほど前に、ノアという信仰深い人がいました。ノア以外の地上の人びとは堕落し、神を信じません。見かねた神は大洪水を起こして、ノアとその家族だけを残し、地を一掃しようと考えました。

神はノアとその家族に「3階だての箱船を造りなさい。大きさは全長135m、幅22.5m、高さ13.5m。おまえと、おまえの息子たち、妻、息子たちの妻もいっしょに。そして、あらゆる生き物のうち、それぞれのつがいを箱船の中に入れること」と命令しました。

ノアは約100年かけて神のいう通りの箱船をこしらえ、その中にあらゆる生き物のつがいを乗せました。

それから7日後に大洪水が起きました。洪水は40日40夜続き、水は150日間も地をおおいました。そのため、箱船に乗っていない生きものは全て息絶えました。

水がひいていき、箱船は「アララト山」の上に止まりました。それから40日後、ノアは地から水が引いたかを確かめるためにハトを放ちましたが、ハトはどこにもとまる場所がなかったために箱船にもどってきました。それから7日後、ノアはもう一度ハトを放ちました。すると夕方に、オリーブの葉をくわえて戻ってきました。水がひいたことを知ったノアとその家族と動物たちは箱船の外に出ました。

ノアは祭壇を造り、いけにえに用意していた動物を神にささげると神は、これからは洪水によって生物を滅ぼすことはないと約束して、そのあかしとして、空に虹を与えました……。

 

「2月17日にあった主なできごと」

1856年 ハイネ死去…『歌の本』などの抒情詩をはじめ、多くの旅行体験をもとにした紀行、批評精神に裏づけされた風刺詩や時事詩を発表したドイツの文学者ハイネが亡くなりました。

1872年 島崎藤村誕生…処女詩集『若菜集』や『落梅集』で近代詩に新しい道を開き、のちに「破戒」や「夜明け前」などを著した作家 島崎藤村が生まれました。

1925年 ツタンカーメン発掘…イギリスの考古学者カーターはこの日、3000年も昔の古代エジプトのファラオ・ツタンカーメンの、235kgもの黄金の棺に眠るミイラを発見しました。

1946年 金融緊急措置令…第2次世界大戦後の急激なインフレを抑えるため、金融緊急措置令を施行。これにより、銀行預金は封鎖され、従来の紙幣(旧円)は強制的に銀行へ預金させる一方、旧円の市場流通を停止、新紙幣(新円)との交換を月に世帯主300円、家族一人月100円以内に制限させるなどの金融制限策を実施しました。しかし、この効果は一時的で、1950年ころの物価は戦前の200倍にも達したといわれています。当時国民は、公定価格の30〜40倍ものヤミ価格で生活必需品を買っていました。ヤミでは買わないとの信念を貫いた東京地裁の判事が、栄養失調で死亡したニュースも伝えられています。

投稿日:2010年02月17日(水) 09:14

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)