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元素周期律表のメンデレーエフ

今日2月2日は、ロシアの化学者で、物質を形づくっている元素の研究をつづけ「元素の周期律表」を作成したメンデレーエフが、1907年に亡くなった日です。

ドミトリー・イワノビッチ・メンデレーエフは、1834年にシベリアのトボリスクで生まれました。14人兄弟の末っ子です。父は中学校の教師でしたが、メンデレーエフが小さいころに病気で盲目になり、子どもたちは、ガラス工場を経営する母にそだてられました。

メンデレーエフは、ガラス工場で働きながら中学を卒業しました。そして、学者になってほしいという母の願いでペテルブルグ大学に入学しました。

「人間にとって、いちばんたいせつなことは実行です。ひたすらに、真理を求めて努力をつづけなさい」

母は、このことばを残して、その年に亡くなりました。メンデレーエフは、悲しみにうちかつために猛勉強しました。そして、金メダルをもらい1番の成績で大学を卒業すると、母の期待どおりに学者への道を進み始めました。フランスやドイツへ留学して、さらに勉強をつづけ、33歳で母校ペテルブルグ大学の教授になりました。元素の周期律を発見したのは、それから2年後のことです。

現在までに、物質の元素には約118種類が知られています。しかし、メンデレーエフのころに知られていたのは63だけでした。

メンデレーエフは、元素どうしのあいだには、なにか関係があると考えました。そこで、元素を、原子の重さの順に並べて表をつくってみました。すると、一定の間隔ごとに似かよった性質の元素がくり返してあらわれることがわかりました。そして、表のなかの空欄のところは、まだ元素が発見されていないのだと考えました。これが、メンデレーエフの研究の成果です。

この元素の周期律は、はじめはみとめられませんでした。しかし、その後、メンデレーエフの予言どおりに空欄の元素が発見されると、周期律表は、化学の研究になくてはならない役割をはたすようになりました。

メンデレーエフは、周期律のほかに液体や気体についてもすぐれた研究成果を残し、さらに数おおくの本を書いて、73歳でこの世を去りました。

メンデレーエフは、科学者としての人生を歩んだだけではなく、芸術も愛し、人間の心をたいせつにする知識人でした。偉大な科学者であるまえに、偉大な人間でした。


「2月2日にあった主なできごと」

749年 行基死去…奈良時代の僧で、奈良の大仏建立に大きな力を注いだ 行基 が、大仏の完成を前に亡くなりました。

962年 神聖ローマ帝国成立…ドイツ王オットー1世は、教皇ヨハネス12世より帝冠を受け、神聖ローマ帝国が成立しました。現在のドイツ、オーストリア、チェコ、イタリア北部を含む帝国は、ナポレオンによってその名称が消されるまで、844年も存続しました。ただし大小の国家連合体であった期間が長く、この中から後のハプスブルク家が支配するオーストリア帝国やプロイセン王国などドイツ諸国家が成長していきました。

1074年 藤原頼通死去…父 藤原道長 からゆずり受けていた宇治の別荘を「平等院」とし、極楽浄土といわれる鳳凰堂を建てた 藤原頼通  が亡くなりました。(平等院鳳凰堂は、10円玉の表に描かれています)

1848年 アメリカ・メキシコ戦争終結…1846年にテキサスの国境線をめぐる紛糾で始まった米墨両国の戦争は、この日アメリカが勝利して終結しました。その結果、ニューメキシコがアメリカの領土となりました。

1970年 ラッセル死去…イギリスの哲学者・論理学者・数学者で、原水爆禁止や平和運動に力をつくした ラッセル が亡くなりました。

投稿日:2010年02月02日(火) 09:07

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)