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童謡作家・北原白秋

今日1月25日は、『赤い鳥小鳥』『あわて床屋』『からたちの花』など800編もの童謡の作詞を手がけた詩人・歌人の北原白秋が、1885年に生まれた日です。

福岡県の南部に、柳川という、むかしの城下町があります。いくすじもめぐる水路に柳が影をうつす、美しい町です。

詩人北原白秋は、その柳川の古い土蔵の倉が並んだ大きな造り酒屋に生まれました。

白秋は、少年時代から文学がすきでした。小学生のころから『竹取物語』や『平家物語』などを読みふけり、中学校へ進むと、詩集を愛するようになりました。16歳のときには、友人と詩や短歌の雑誌を作りました。隆吉というほんとうの名まえのかわりに、白秋という名をつけたのは、このころです。

やがて、投稿した短歌が新聞や雑誌にのるようになり、白秋は、文学の道へ進むことを、はっきり心に決めました。

ところが、白秋に家をつがせることを考えていた父は反対でした。でも、どんなに反対されても決心は変わりませんでした。

中学校の卒業が目の前にせまった、ある日、白秋は、ついに学校を退学して東京へ旅立ちました。このとき、母と弟は、父にかくれて、荷づくりをてつだってくれました。

19歳で東京の空の下に立った白秋は、早稲田大学へ入りました。しかし、およそ1年後には、退学してしまいました。大学の雑誌の懸賞で1位になった詩が、そのころの大歌人与謝野鉄幹にみとめられ、文芸雑誌『明星』を発行する新詩社にむかえられたのです。そして『明星』に詩や短歌を発表するようになると、またたくまに、みずみずしさをたたえた詩人として、広く注目されるようになりました。

そのごの白秋は、高村光太郎谷崎潤一郎石川啄木 らといっしょに、美の世界を深く見つめる新しい文学運動をつづけながら、『邪宗門』『思ひ出』『水墨集』などの詩集を、次つぎに発表していきました。

また1918年に、鈴木三重吉によって児童文芸雑誌『赤い鳥』の発行が始まると、新しい詩人の指導にあたりながら、自分も童謡を書くようになりました。生涯のうちに書いた童謡は『赤い鳥小鳥』『あわて床屋』『雨』『ちんちん千鳥』『からたちの花』など、800編をこえています。これほどたくさんの童謡を作れたのは、けがれのない童心をたいせつにする心が、白秋のなかに、いつもあったからでしょう。英語圏に伝わるわらべ歌ともいうべき『マザーグース』を、日本に初めて紹介したのも白秋の功績です。

詩と童謡を愛した白秋は、31文字でつづる短歌も深く愛しつづけ『桐の花』『雀の卵』などのすぐれた歌集も残して、日本が太平洋戦争を始めた翌年の1942年に、57歳で亡くなりました。美しいことばを自由にあやつった詩人でした。


「1月25日にあった主なできごと」

901年 菅原道真左遷さる…右大臣として活躍していた「学問の神様」として名高い 菅原道真 は、左大臣藤原時平のたくらみにより、「東風吹かば匂いおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れぞ」の句を残し、京都から筑紫の大宰府に左遷されました。

1212年 法然死去…平安時代末期から鎌倉時代初期の僧侶で、南無阿弥陀仏をとなえれば、人間はだれでも来世で極楽浄土に生まれかわることができると説く「浄土宗」を開いた 法然 が亡くなりました。

1858年 御木本幸吉誕生…「真珠王」と呼ばれ、真珠の養殖とそのブランド化に成功した 御木本幸吉 が生まれました。

1907年 湯川秀樹誕生…日本で最初にノーベル賞にかがやいた理論物理学者 湯川秀樹 が生まれました。

1957年 志賀潔死去…赤痢菌を世界で初めて発見したことで知られる細菌学者 志賀潔 が亡くなりました。

投稿日:2010年01月25日(月) 09:22

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)