今日1月20日は、わずか43歳で第35代アメリカ大統領となったケネディが、1961年に就任した日です。この日の就任演説で「わたしは、人類の敵である悪い政治や、戦争や、貧しさや、病気などをなくすために戦います」 に続く次の2つのメッセージは、世界の人たちに大きな感銘を与えました。
「アメリカ同胞のみなさん、国があなた方のために何をしてくれるのかなどと問わず、あなた方が国のために何ができるかを自分に問いかけてほしい」
(My fellow Americans: Ask not what your country can do for You. Ask what you can do for your country.)
「世界の友たちよ、アメリカがあなた方のために何をしてくれるかではなく、人類の自由のため私たちは共に何ができるかを問おうではないか」
(My fellow citizens of the world: Ask not what America will do for you, but what together we can do for the freedom of man.)
ケネディが大統領になった当時、アメリカとソ連との間は冷戦状態でした。ケネディは「ニュー・フロンティア精神」という[現状維持に固執するのではなく新しい未来への先駆者となろう]と積極的な政策をうちだし、当時にらみあっていたソ連との間に平和共存をとなえ、核戦争へ一触即発の危機にあった「キューバ危機」などを乗りこえることに成功しました。また、社会福祉政策を推し進め、特に人種差別の廃止のために、力強い働きをしました。
そんな若々しく行動的な大統領のケネディに対し、アメリカ国内ばかりでなく、世界各国から大きな期待をよせるようになりました。ところが、就任してから3年後の1963年11月23日、テキサス州のダラスで、暴漢に撃たれて暗殺されたのです。世界じゅうの人々は、任期半ばにして倒れた政治家の死を、心から悲しみました。
なお、ケネディの詳しい生涯につきましては、いずみ書房のホームページで公開しているオンラインブック「せかい伝記図書館」第18巻 「ケネディ」 をご覧ください。
「1月20日にあった主なできごと」
1875年 ミレー死去…『晩鐘』や『落ち穂ひろい』などの名画で、ふるくから日本人に親しまれているフランスの画家 ミレー が亡くなりました。
1926年 ダイヤル式自動電話の設置…日本で初めてダイヤル式自動電話機が、東京・京橋電話局に設置されました。それまでの電話は、電話交換手に相手先を伝えて、接続してもらっていました。
1936年 救急車登場…警視庁消防部が東京都内に救急車6台を配備して、救急業務を開始しました。呼び出しの119番もこの時から始まりました。
1947年 学校給食…太平洋戦争後の食糧難で栄養失調となる児童を救うため、アメリカの慈善団体ララ(アジア救済連盟)から贈られた脱脂粉乳などの物資をもとに、全国主要都市の小学生およそ300万人に学校給食がはじまりました。