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咸臨丸の勝海舟

今日1月19日は、江戸幕府末期の開明的な幕臣として 坂本竜馬 ら幕末の志士を教育したり、咸臨丸で日本人だけの太平洋横断を指揮したり、幕府側代表として西郷隆盛と会見し江戸無血開城を実現させた勝海舟が、1899年に亡くなった日です。
 
1832年、江戸の貧しい旗本の家に生まれた勝海舟は、少年の頃から剣術を島田虎之助に学び、その代稽古を勤めるほど上達すると、島田の勧めで西洋兵学を志しました。その勉強ぶりは半端でなく、入手しにくい「兵書」という蘭書をその所有者の家に毎夜、半年間通って書写したというエピソードは有名です。1850年には、自宅で蘭学塾を開くようになりました。

勝は、時代の流れを見抜く先見性のある人物でしたので、すみやかに諸外国と交流してその文化を吸収し、日本の国を強い国に育てなくてはならないという信念を持っていました。1853年のペリー来航に際して幕府に意見書を提出するなど、貧しい旗本の子ではあっても、一目置かれる存在だったようです。そのために、攘夷派の志士から命をねらわれることにもなり、暗殺しようとやってきた 坂本龍馬 を、逆に説き伏せて弟子にしたこともよく知られています。

1855年には海軍伝習生として長崎の海軍伝習所へおもむき、オランダ人から航海術の訓練を受けました。そして1860年には、日米修好通商条約批准書を交換する使節団をのせた「咸臨丸」を指揮して、太平洋を横断して渡米しました。

アメリカでの体験から、日本がいかに遅れているかをさとった勝は、帰国後幕府内でも強い発言力を持つ立場になり、幕府の軍艦奉行に任命されました。倒れかかった幕府で近代海軍を建設する仕事にとりかかり、1862年には神戸に海軍操練所を設け、幕臣ばかりでなく、龍馬や龍馬に誘われた志士らを含め、広く人材を指導しました。この間に長州の桂小五郎(木戸孝允)や薩摩の西郷隆盛らと親しくし、世界の情勢や日本統一の大切さを説きました。

こうして、江戸幕府が新政府軍に囲まれたとき、主戦派の幕臣をなだめ、新政府側の 西郷隆盛 と3日間も会談して江戸の無血開城を実現させて江戸を火の海から、そして日本を外国の干渉から救ったのは、そんな勝の見識の表れといってよいかもしれません。

なお、勝の詳しい生涯につきましては、いずみ書房のホームページで公開しているオンラインブック「せかい伝記図書館」第30巻 「勝海舟」 をご覧ください。


「1月19日にあった主なできごと」

1736年 ワット誕生…18世紀末頃からイギリスにおこった産業革命の原動力ともいえる、蒸気機関の改良をおしすすめた ワット が生まれました。

1839年 セザンヌ誕生…ゴッホ、ゴーガンと並ぶ後期印象派の巨匠、20世紀絵画の祖といわれる画家 セザンヌ が生まれました。

1862年 森鴎外誕生…安寿と厨子王の美しい愛情をえがいた『山椒太夫』、安楽死させた罪に問題をなげかけた『高瀬舟』、ドイツで交際した女性をモデルした『舞姫』など数々の名作を著した文豪 森鴎外 が生まれました。

1969年 東大安田講堂の封鎖解除…全共闘の学生によって、半年前から占拠されていた東大安田講堂へ、8500人の機動隊が前日から出動。2日間35時間にわたる激しい攻防の末、封鎖が解除されました。

投稿日:2010年01月19日(火) 09:35

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)