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坂下門外の変

今日1月15日は、幕末の1862年のこの日、老中安藤信正が江戸城の坂下門外で、水戸浪士ら6人に襲われた日です。

水戸浪士らは、1860年3月に桜田門外の変を起こして、大老・井伊直弼 を殺害しています。直弼が、1858年に朝廷の許可を得ないまま、アメリカと「日米修好条約」を結び、箱館(函館)・新潟・神奈川・兵庫・長崎の5港の開港したばかりでなく、治外法権・領事裁判権・関税自主権の放棄といった不平等条約を結んだこと。これに反発する 吉田松陰 や橋本左内らを処刑したほか、大名や学者らを処罰する「安政の大獄」を引き起こしたことが、直弼殺害の要因でした。

直弼のあとをうけたのが、老中安藤信正でした。優秀な人材が次々と幕府を去り、もはや幕府には時局を乗り切れるだけの指導力がなくなっていました。そこで安藤は、公武合体を構想しはじめました。つまり、皇室の権威を利用して幕府の権力を回復しようというものです。そして孝明天皇の妹である和宮を、1859年10月に14代将軍家茂の妻とするために江戸城へ迎えることに成功しました。

そんな信正のやり方に憤慨した尊王攘夷派の志士たちは、みだりに皇室を利用するものとして、その暗殺を企てたのが「坂下門外の変」でした。しかし、幕府は、直弼の轍はふみません。かごの周囲には警護の武士が50名あまりもいて、桜田門外のような奇襲攻撃を許しませんでした。暗殺者6名はみな切り殺され、信正は背中に軽い傷を受けただけでした。でもこの事件を起こした責任を問われ、信正は4月に老中を罷免されました。

こうして、幕府の力はしだいに弱まり、文武に優れ家康の再来といわれた 徳川慶喜 が1866年に15代将軍につくも、時期が遅すぎました。その翌年大政奉還し、264年続いた江戸幕府の幕を閉じたのです。


「1月15日にあった主なできごと」

1918年 ナセル誕生…スエズ運河の国有化、アスワン・ハイ・ダムの建設につとめ、第三世界(アジア、アフリカ、ラテンアメリカなどの発展途上国)の指導者として活躍したエジプトの ナセル が生まれました。

1939年 70連勝成らず…大相撲春場所4日目、69連勝中の横綱双葉山はこの日、関脇安芸の海に敗れ、70連勝をのがしました。当時の大相撲は、1月と5月の1年2場所・10日制で、現在の1年6場所・15日制と、条件の違いはありますが、69連勝という記録は、いまだに破られていません。

投稿日:2010年01月15日(金) 09:09

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)