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「東方見聞録」 のマルコ・ポーロ

今日1月8日は、ベネチアの商人で、元(中国)に17年も仕え 『東方見聞録』 を遺した旅行家 マルコ・ポーロ が、1324年に亡くなった日です。

1298年に、口述筆記によって書かれたといわれる 『東方見聞録』 によりますと、マルコの父ニコロと叔父のマテオは、1260年コンスタンチノープルから黒海を渡り東方への商売に向かいました。

商売は順調でしたが、1261年から2年間続いたモンゴルの戦乱に巻きこまれて、コンスタンチノープルに戻れなくなってしまいました。しかたなく2人は戦乱を避けて東へすすみ、とうとうカラコルムにたどり着きました。

そこはモンゴル帝国の首都で、フビライ・ハンが治める都でした。フビライはキリスト教に興味を持ち、2人に「キリスト教に精通している賢者100人を送ってほしい」「エルサレムのイエス・キリストの墓に灯されているランプの聖油を分けてほしい」という手紙を、ローマ法王に届けてほしいとたのみました。
 
1271年にベネチアにもどった2人は、約束の100人の賢者を連れて行くのは果たせませんでしたが、わずか17歳のマテオの息子マルコポーロを連れ、ランプの聖油を持参して出発しました。

3人は、中央アジアを経て、3年半もの辛く厳しい旅をのりこえ、元の大都(現在の北京)にたどり着きました。フビライ・ハンは礼を尽くして3人を迎えました。特に若いマルコが気に入って、外交官として召しかかえました。約17年間の勤務のなかで、中国各地を旅行するなどの体験を記したのが『東方見聞録』で、1271年から1295年にわたるマルコの冒険の記録といってよいでしょう。
 
マルコの詳しい生涯につきましては、いずみ書房のホームページで公開しているオンラインブック「せかい伝記図書館」第3巻 「マルコ・ポーロ」 をご覧ください。
  
「ほんとうに見たことの半分も書けなかった」というマルコの旅行記ですが、わずか1世紀後のルネサンスの人びとに唯一の世界旅行記として注目されたばかりでなく、ヨーロッパ人として初めてアメリカを発見したコロンブスがこの本に記されている「黄金の国ジパング(日本)」をめざして大航海に出たと伝えられています。さらに、20世紀になってからも、スタインや ヘディン といった探検家は、生きた手引書としてこの本を携え、やけつく砂漠を横切っていったといわれています。


「1月8日にあった主なできごと」

1642年 ガリレオ死去…イタリアの物理学者、天文学者で近代科学を拓いた功績者 ガリレオ が亡くなりました。

1646年 徳川綱吉誕生…江戸幕府の第5代将軍で、当初はすぐれた政治を行ないましたが、やがて「生類憐みの令」をはじめ、悪政といわれる政治を次々とおこなうようになった 徳川綱吉 が生まれました。

1918年 平和原則14か条…アメリカのウィルソン大統領は、秘密外交の廃止、海洋の自由、軍備縮小、民族自決、国際連盟の設立など、平和原則14か条を発表しました。この提唱が基になって、2年後に国際連盟が設立されました。

1941年 戦陣訓…日中戦争中のこの日、陸軍大臣 東条英機 は、全陸軍兵に軍人としてとるべき行動規範を示した文書「先陣訓」を通達しました。このなかに示された「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず」という一節が、多くの兵士に死を強いることになりました。

1961年 アルジェリア自決投票…フランスの植民地支配に対するアルジェリアの独立戦争は、1954年から長い間行なわれてきましたが、この日フランスの国民投票で、ドゴール大統領のアルジェリア自決政策が多数の支持を得ました。これがきっかけとなって、100万人もの犠牲者を出した戦争は終結。1962年3月、アルジェリア人民共和国が成立しました。

投稿日:2010年01月08日(金) 09:05

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)