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執権政治をはじめた北条時政

今日1月6日は、鎌倉時代の初期、源頼朝の打ちたてた鎌倉幕府の実権を握り、北条氏の執権政治の基礎を築いた武将・北条時政が、1215年に亡くなった日です。

北条氏は、桓武天皇の流れをくむといわれた豪族でした。1159年の平治の乱で源義朝が 平清盛 にやぶれ、その翌年に義朝の子の 源頼朝 が伊豆へ流されてきたとき、時政は、これを監視する役につきました。

ところが、それから約20年の歳月が流れて40歳をすぎた時政は、平氏を討つために立ちあがった頼朝に味方をして、自分も兵をだしました。むすめの政子が、いつのまにか、ふかく愛するようになった頼朝とむすばれていたからです。

1185年、3月に平氏が壇ノ浦でほろび、10月に、頼朝と仲が悪くなった弟の 源義経 が兵をあげようとすると、時政は頼朝の代官として京都へ入りました。義経に力をかそうとした朝廷と公家を頼朝になびかせるのが、時政の任務でした。義経は兵を集めるのに失敗して京都を逃げだしました。

時政は、頼朝が開こうとする鎌倉幕府の目を全国に光らせるために、地方に守護、地頭の武士を新しくおくことに後白河法皇を説きふせて、鎌倉へ帰りました。

やがて鎌倉幕府が開かれ、時政は、頼朝の義父として大きな権力を自分のものにしました。しかし、61歳になったとき、時政の地位は危なくなりました。頼朝が死に、孫の頼家が将軍になると、頼家の妻の父に当たる比企能員(ひきよしかず)が、それまでの時政と同じように将軍の義父として権力をふるいはじめたのです。

頼朝が死んだあと、幕府の実権をにぎってしまうことを秘かに考えていた時政は、心がおだやかではありません。そこで、1203年、時政はついに比企一族をことごとく討ちほろぼしてしまいました。そのつぎの年には、将軍の地位をしりぞかせて伊豆の修善寺にとじこめていた頼家までも、家来に命じて殺してしまいました。このとき頼家は、まだ22歳でした。

1203年、時政は、頼家の弟で、わずか11歳になったばかりの 源実朝 を、鎌倉幕府の第3代将軍にたてました。

しかし、時政には実朝を将軍としてもりたてる心など初めからなく、政所別当として自由に政治をあやつり、幕府の実権をにぎってしまいました。これが北条氏の執権政治の始まりです。

時政は、その後、こんどは自分の娘のむこを次の将軍にたてることを考えて、実朝を殺してしまうたくらみをしました。ところが、この悪だくみがばれて、逆に自分が鎌倉を追われ、出家したのち77歳で、伊豆でさみしく死んでいきました。


「1月6日にあった主なできごと」

1412年 ジャンヌ・ダルク誕生…「百年戦争」 でイギリス軍からフランスを救った少女 ジャンヌ・ダルク が生まれました。

1706年 フランクリン誕生…アメリカ独立に多大な貢献をした政治家、外交官、また著述家、物理学者、気象学者として多岐な分野で活躍した フランクリン が生まれました。

1822年 シュリーマン誕生…少年時代 「子ども世界史」 という本で読んだ伝説だというトロヤ戦争が、ほんとうにあったことだと信じ、トロヤの遺跡を掘りおこした シュリーマン が生まれました。

1831年 良寛死去…自然や子どもを愛しながら、歌人・詩人・書家として生きた僧侶 良寛 が亡くなりました。

1884年 メンデル死去…オーストリアの司祭で、植物学研究を行い、メンデルの法則と呼ばれる遺伝に関する法則を発見した メンデル が亡くなりました。

1887年 シャーロック・ホームズ登場…イギリスの推理作家コナン・ドイルは、『緋色の研究』の中で名探偵シャーロック・ホームズを初めて登場させました。

1912年 大陸移動説…ドイツの地理学者ウェゲナーは、地球上の大陸は一つの大きな大陸が分裂・移動して生まれたという「大陸移動説」を学会で発表。長い間否定されていましたが、1950年代の磁力計の進歩によって、現在は定説となっています。

投稿日:2010年01月06日(水) 09:02

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)