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俳句と文人画の巨匠・与謝蕪村

今日12月25日は、[春の海ひねもすのたりのたりかな]などの俳句で名高い江戸時代中期の俳人で画家の与謝蕪村(よさ ぶそん)が、1783年に亡くなった日です。

蕪村は、1716年に、摂津国(大阪)の農家に生まれました。少年時代のことはよくわかりませんが、両親を早く亡くし、さみしさをまぎらすためか、いつも文学や絵に夢中になっていたと伝えられています。

20歳のころ、ひとりで江戸へでて、俳句と絵を学び始めました。ところが、5年のちに俳句の師とあおいだ夜半亭宋阿が亡くなると、50数年まえに俳人芭蕉が歩いたあとをしたって、気ままな旅にでました。そして、およそ10年のあいだ、自由に句を作り絵をかき、1751年に京都へおちついたときには35歳になっていました。

ふるさとに近い京都で、蕪村がまずうちこんだのは、学者や文人たちがおおくえがいたことから文人画とよばれるようになった、日本画でした。

「文人画の名人池大雅の絵とならぶ、傑作だ」

自然を深く見つけた絵は人びとの心をとらえ、45歳をすぎた蕪村は、おしもおされもせぬ文人画の大家になりました。

蕪村には、絵の師はいませんでしたが、名画を見て学び、心の目でものを見つめて、自分の絵を完成させたのです。

いっぽう、50歳をすぎてからは、ふたたび俳句の世界へもどり、54歳のときに、まわりの人びとにおされて夜半亭の2代めをひきつぎ、俳諧の宗匠になりました。

このころから蕪村は、絵をかく心と句を作る心をかさねて、まるで、目の前に美しい景色を見るような句をよむようになり、夜半亭にはおおくの門人たちが集まりました。

菜の花や月は東に日は西に/牡丹散りて打ちかさなりぬ二三片

こんな句を口ずさむと、夕暮れどきのまっ黄色の菜の花畑の美しさや、地に落ちた牡丹の赤い花びらのあざやかさが、まぶたの奥に広がってきます。しかし、美しさの裏がわに、さみしさと悲しさを秘めた句です。

蕪村は『野馬図』『四季山水図』などの名画と、およそ3000の紀行文に絵をつけた俳画も残して、1783年に、67歳の生涯を終えました。

つねに人生を見つめた芭蕉の句にくらべ、蕪村の句は、さほどのきびしさはありません。しかし、美しさとあたたかさにあふれ、今も、芭蕉の句とともにおおくの人に親しまれています。

 

「12月25日にあった主なできごと」

800年 カール大帝即位…カール大帝 (シャルルマーニュ)は、この日聖ピエトロ寺院で、ローマ教皇からローマ皇帝として戴冠されました。大帝は、ゲルマン民族の大移動以来、混乱した西ヨーロッパ世界の政治的統一を達成、フランク王国は最盛期を迎えました。

1642年 ニュートン誕生…万有引力の法則、数学の微積分法、光の波動説などを発見したイギリスの物理学者・数学者・天文学者のニュートンが生まれました。

1897年 赤痢菌の発見…細菌学者志賀潔は、この日赤痢菌の病原菌を発見したことを「細菌学雑誌」に日本語で発表しました。しかし、当時の学会はこれを承認しなかったため、翌年要約論文をドイツ語で発表、この論文で世界的に認められることになりました。

1926年 大正天皇崩御…1921年には当時20歳だった皇太子・裕仁親王が摂政に就任していましたが、この日大正天皇が亡くなり、裕仁親王が天皇の位を受けついで「昭和」となりました。

1928年 小山内薫死去…明治末から大正・昭和初期に演劇界の発展に努めた劇作家、演出家の小山内薫が亡くなりました。

1977年 チャップリン死去…イギリスに生まれ、アメリカで映画俳優・監督・脚本家・プロデューサーとして活躍したチャップリンが亡くなりました。


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本年もご愛読をありがとうございました。
新年は5日からスタートする予定です。
皆さま、良いお年を ! 

投稿日:2009年12月25日(金) 09:08

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)