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護国卿のクロンウェル

今日12月16日は、イングランドの政治家クロンウェルが、1653年イングランド共和国の初代護国卿になった日です。護国卿とは、王権に匹敵する最高統治権を与えられた職名です。

ルターやカルバンの宗教改革以後、ローマ教皇の支配をうけない新しいキリスト教を新教(プロテスタント)といい、これまでの教会を中心とする教えを旧教(カトリック)といいます。そしてイギリスでは、新教の信者を清教徒(ピュリタン)とよびました。

クロンウェルは、1599年イングランド東部の小さな村に生まれ、清教徒である母親の影響をうけながら育ちました。17歳のとき、ケンブリッジ大学に入りましたが、1年ほどで中退してしまい、ロンドンへでて司法学院に学びました。クロンウェルは、29歳で下院議員にえらばれ、イギリス議会に登場します。

当時イギリス国王のチャールズ1世は、王の権限は神から与えられたもので、国民は政治に口をだしてはならないといって独裁支配を行なっていました。信仰のうえでもイギリス国教を強制して、清教徒をおさえつけ、王の権力は高まる一方です。

そのころのイギリス議会は、王や貴族とむすびついた旧教の議員と、商工業者や農民の利益を代表する清教徒の議員が、はげしく対立し、宗教の争いが、そのまま政治の争いに結びついてにらみあっていました。

やがて、国民のための政治をとなえる清教徒議員の力が大きくもりあがり、国王の横暴をおさえる「権利の請願」という法案を成立させました。議会の同意なしに税をかけたり、不法に国民を逮捕したりしないという法律です。

しかし、国王は清教徒議員を逮捕し、議会を解散してしまいました。そのご11年ものあいだ議会をひらかず、言論や信仰をきびしくとりしまり、重税を国民におしつけました。1640年、国王はお金に困って1度だけ議会をひらきます。でも、国王の無法ぶりにおこった清教徒議員の攻撃にあい、すぐに議会を解散してしまいました。そして国王は、軍隊をむけてきました。

議会も革命軍をつのり、王の軍隊にたちむかいました。こうして1641年「清教徒(ピュリタン)革命」の火の手があがったのです。クロンウェルは、革命軍の副司令官として、先頭に立って戦いました。勝利をおさめたクロンウェルは、共和政を宣言し、初代護国卿となって議会のとりまとめに力をつくしました。

しかし、思うようにはかどらず、しだいに自分の考えだけで政治を動かし始めました。あらゆる権力を、すべて自分のものにして、しだいにきびしい独裁政治となりました。人びとの楽しみとする、芝居や競馬まで禁止したので、たいへん評判をおとしてしまいます。人びとの心は離れて行き、1658年にクロンウェルが死ぬと、ふたたび王政にもどったのでした。

以上は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで公開中)6巻「ニュートン・フランクリン」の後半に収録されている14編の小伝の一編「クロンウェル」をもとに加筆したものです。

なお、クロンウェルの生涯のより詳しい内容は、いずみ書房のホームページで公開中の「レディバード100点セット」第92巻 「クロムウェル」 の参考訳をご覧ください。

 

「12月16日にあった主なできごと」

1773年 ボストン茶会事件…この日の夜、インディアンに変装したボストン市民が、港内に停泊中のイギリス東インド会社の船に侵入。342箱の茶を海に投げ捨てました。この事件がキッカケとなって、イギリス本国と植民地の関係が急速に悪化、1年4か月後にアメリカ独立戦争が勃発しました。
 
1859年 グリム弟死去…兄弟で力をあわせ、ドイツに伝わる民話を集大成した グリム兄弟 の弟ウィルヘルムが亡くなりました。なお、グリム童話は、いずみ書房のホームページで公開している「オンラインブック」で読むことができます。 「せかい童話図書館」 では 「ヘンゼルとグレーテル」 「ブレーメンのおんがくたい」 の2点、 「レディバード100点セット」 では 「小人と靴屋」 「魔法のかゆなべ」 「金のガチョウ」 「狼と7匹の子やぎ」 「ガチョウ番の娘」 「眠り姫」 「ラプンツェル」 「勇敢な小さな仕立屋」 「親指トム」 「白雪姫」 「白雪と紅バラ」 「王女とかえる」 の12点です。ぜひ、のぞいてみてください。

1864年 奇兵隊の挙兵…11月の第1回長州征伐に敗れた長州藩でしたが、高杉晋作 の率いる足軽・百姓・町人の有志で組織された「奇兵隊」がこの日挙兵して、藩の主導権を握りました。

1932年 白木屋デパート火災…東京日本橋の白木屋デパート(現在の東急デパート)で火災がおこり、地下2階、地上8階の建物の4階から8階までを全焼。この火災で客や店員ら14人が死亡、500人余りが重軽傷を負うなど、日本初の高層建築物火災となりました。当時の女子店員はまだ和服だったために、行動が不自由で逃げ遅れた人が多く、この惨事がキッカケとなって、洋服を着る女性が多くなったといわれています。

投稿日:2009年12月16日(水) 09:15

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)