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アメリカ建国の父・ワシントン

今日12月14日は、イギリスからの独立戦争で総司令官として活躍し、アメリカ合衆国初代大統領となったワシントンが、1799年に亡くなった日です。

ジョージ・ワシントンは、1732年、当時イギリスの植民地だったバージニア州で豊かな農園主の家に生まれました。その頃の地主の子どもは、イギリスで教育を受けることがふつうでしたが、11歳のときに父親が亡くなったため、地元で初等教育をうけただけで、独学で測量技術の勉強をし、19歳で測量士の免状をとりました。

ワシントンが20歳のとき、父親から農園主をひきついでいた義兄が亡くなりました。義兄は、すぐれた軍人でもありました。ワシントンは、そのあとをうけて、バージニア州の義勇軍の少佐になり、農場主もひきつぎました。

その頃の北アメリカは、イギリスとフランスが植民地の奪いあいをしている最中でした。そのため、ワシントンも部隊を率いて、フランス軍や原住民と苦しい戦いをつづけました。そんな数かずの戦いの中で、ワシントンの勇気ある行動に評価が高まり、26歳の時には、植民地軍の総司令官に任命されるほどでした。

翌年に戦争は終わり、農園での平和な生活にもどりました。ところが、フランス戦には勝利したものの、7年にわたる戦争にばく大なお金をつかったイギリス本国は、アメリカに重い税金をかけるようになりました。でもこれは、植民地の人びとの反抗で改められました。

税金をやめたかわりにイギリス本国は、値段の高いお茶をむりやりアメリカにおしつけてきたのです。植民地の人びとは怒り、1773年の末、インディアンに変そうした人びとが、ボストンに入港したイギリス船にしのびこみ、積んであった茶をすべて海へ投げすててしまいました。この「ボストン茶会事件」をきっかけに、イギリス本国は軍事力でボストンを占領しました。

それからまもなく、アメリカ独立戦争の火ぶたが落とされました。ワシントンは、13州の代表者が開いた大陸会議で、アメリカ軍総司令官にえらばれ、ふたたび軍をひきいて立ちあがったのです……。

その後のワシントンの活躍や、その詳しい生涯につきましては、いずみ書房のホームページで公開しているオンラインブック「せかい伝記図書館」第7巻 「ワシントン」 をご覧ください。


「12月14日にあった主なできごと」

1702年 赤穂浪士の討ち入り…赤穂藩(兵庫県)の藩主だった浅野長矩(ながのり)が、江戸城の松の廊下で、吉良義央(よしなか)に侮辱を受けたために斬りかかった前年3月の事件で、浅野は切腹、藩はとりつぶしになったのに対し、吉良には何のとがめがありませんでした。この日の深夜、浅野の元家臣だった 大石良雄 ら赤穂浪士46名は、吉良邸に討ち入り、主君のあだを討ちました。浪士たちは翌年2月切腹を命じられましたが、人びとは浪士たちの行動に拍手かっさいし、『忠臣蔵』として今も芝居やドラマになって、語り継がれています。

1911年 アムンゼン南極点に到達…ノルウェーの探検家 アムンゼン は、4人の隊員とともに世界で初めて南極点に立ちました。

2003年 フセイン大統領の身柄確保…アメリカ軍は、イラク戦争で民家に隠れていたイラクの元大統領サダム・フセインの身柄を確保しました。裁判の結果、3年後の12月30日、死刑となりました。

投稿日:2009年12月14日(月) 09:13

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)