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南北朝時代のきっかけ

 今日12月11日は、後醍醐天皇 による建武新政府に反旗をひるがえした足利尊氏は、1335年のこの日、箱根・竹ノ下の戦いで新田義貞軍を破りました。この戦いをきっかけに、南北朝内乱時代がはじまりました。
 
1333年に鎌倉幕府を倒して成立した建武政権でしたが、天皇は武士たちを政治に近づけようとはしません。天皇が皇族や貴族ばかりを重視します。武士たちは不満を募らせ、全国の旧北条氏所領で北条の残党の蜂起が相つぎましたが、特に信濃で蜂起した北条時行は、各地の不満武士たちの勢力を吸収して、尊氏の弟である足利直義を追い出し、鎌倉を占領する勢いを見せました。
 
足利尊氏は、時行を討たせてくれるように後醍醐天皇に要請しましたが、 尊氏が自立することをおそれた後醍醐天皇は許可しません。しかたなく尊氏は、天皇に無断で関東に出兵、時行軍を鎌倉から追いだしました。
 
京都へ帰る命令を出したにもかかわらず、鎌倉からもどらない尊氏に腹をたてた後醍醐天皇が、新田義貞に尊氏討伐を命じたことで箱根・竹ノ下の戦いがおこりました。
 
尊氏は義貞を迎え撃った上、逃げる義貞を追って都へ入りました。ところが、京都を占領できたのは、わずか半月たらずでした。力をもり返した義貞の軍や、天皇の命をうけた北畠顕家らの軍にやぶれ、こんどは自分が都を追われて、遠く九州へのがれなければなりませんでした。
 
九州の地で時期を待ち、尊氏が兵をあげたのは、それから数か月後でした。摂津国(兵庫県)の湊川では、天皇に命じられた楠木正成、新田義貞の軍がまちうけていました。これに対し、九州、四国、中国の武士を味方につけた尊氏は、弟直義と力をあわせ、正成を自害させ、義貞を追いちらして、堤防をきった大水のようないきおいで、京都へなだれこみました。身の危険を感じた後醍醐天皇は、比叡山へのがれて建武政権は崩壊、南北朝時代へ突入していくのです……。
  
 
「12月11日にあった主なできごと」
 
1223年 運慶死去…国宝となっている東大寺南大門の「仁王像」などの仏像彫刻を残した、鎌倉時代初期に活躍した仏師・運慶 が亡くなりました。
 
1485年 山城国一揆…日本最大の戦乱といわれる応仁の乱(1467-77)の主な原因は、8代将軍足利義政に仕える守護大名畠山持国の実子義就(よしなり)と、養子政長の家督争いでした。この争いが、乱後も続いたため、この日住民たちは大規模な一揆をおこし、平等院に集合して、8年もの間、山城国の政治を自治的に運営しました。
 
1688年 名誉革命…イングランド王ジェームズ2世を王位から追放し、ジェームズ2世の娘メアリーとその夫でオランダ統領のウィリアム3世をイングランド王位に即位させたクーデター。この日、議会から追われたジェームズ2世は、フランスに逃げこみ、流血を見ずに変革が行なわれたことから「名誉革命」と呼ばれ、イギリスの立憲君主制が確立されるキッカケとなりました。
 
1834年 岩崎弥太郎誕生…三井財閥と並ぶ財閥「三菱財閥」の基礎をつくった実業家 岩崎弥太郎 が生まれました。
 
1843年 コッホ誕生…炭疽(たんそ)菌、結核菌、コレラ菌などを発見し、細菌培養法の基礎を確立したドイツの細菌学者 コッホ が生まれました。
 
1946年 ユニセフ創立…この日の国連総会の決議により、ユニセフ(国際連合児童基金)が設立されました。世界中の飢餓や貧困に苦しむ子どもたちや妊産婦に対し、直接の援助を目的とするものです。
 
1950年 長岡半太郎死去…原子核の存在を予見したり、磁気にひずみあることの研究など地球物理学、数理物理学の発展に貢献した物理学者 長岡半太郎 が亡くなりました。
投稿日:2009年12月11日(金) 08:25

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)