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太平洋戦争のはじまり

今日12月8日は、日本の連合艦隊がハワイ・オワフ島の真珠湾に停泊中のアメリカ太平洋艦隊を奇襲して、この日から3年6か月余にもおよぶ太平洋戦争に突入した日です。1941年のことでした。

この日の朝6時のラジオ放送は「(大本営陸海軍部発表)帝国陸海軍は、今8日未明西太平洋において、米英両軍と戦闘状態に入れリ」とさけびました。日本軍は、戦艦アリゾナをはじめ、アメリカの軍艦11隻を撃沈、航空機400機を壊滅させたのです。アメリカ軍の死者2000名、日本軍の死者100名足らず、損傷した飛行機も30機以下という成功をおさめました。

1時間後に、日本の駐米大使はアメリカに対して最後通牒を行って、太平洋戦争がはじまりました。しかし、日本の攻撃は戦争状態にない国に対してゲリラ攻撃を加えたことで、国際法に違反した卑劣な行為ということになってしまいました。こうして、アメリカは日本を国際法違反として非難し、「真珠湾(パール・ハーバー)を忘れるな」を合言葉に、国民の強固な結束をうみだしました。

それではどうして、この戦争はおこったのでしょう。

それには、日本が中国を侵略しはじめた1931年の満州事変までさかのぼらなくてはなりません。当時、国際的に武力を用いた紛争解決を原則として禁止する不戦条約が締結されていました。侵略戦争は国際法上で違法となっていました。この条約は、すでに植民地を所有していた欧米諸国に都合の良いものでしたが、わが国もこの条約を批准していました。

ところが、日本の関東軍は満州事変を起こして、満州を中国から実質的に奪い、どんどん占領地域を拡大していきました。こうした日本の行為に対し、国際連盟は調査団を送って、満州を中国に返還することを42対1で支持しました。このため、日本は1933年に国際連盟を脱退し、国際的な孤立を余儀なくされました。

さらに、1937年盧溝橋事件にはじまった日中戦争は、ドロ沼戦争といわれるほど困難をきわめました。あせった日本は、日中戦争が長引いているのは、アメリカやイギリスが蒋介石を支援しているからだと決めつけ、イギリスと戦って有利に戦争を進めているドイツと組むべきだという意見がいっきに高まって、1940年にドイツ・イタリアと三国軍事同盟を結んだのです。これは、英米との対立を決定的にするものでした。

こうして日本政府と最高指導本部の大本営は、アメリカとの戦争を検討していましたが、近衛文麿首相のあとを 東条英機 が引き継ぐや、ほかの軍部のかしらたちと開戦を推し進め、1941年11月には「アメリカとの開戦やむなし」との決定をして、アメリカとの交渉を進めながら、この日をむかえたのでした。

この真珠湾攻撃から半年ほどで、日本は東南アジアから南太平洋におよぶ地域を占領するなど戦争を有利に進めましたが、1942年6月のミッドウェー海戦で大敗してからは、敗戦に敗戦を重ねていきました。

そして、1945年8月、広島、長崎へ原爆を投下された後、終戦をむかえたのでした。中国との15年戦争やこの太平洋戦争で亡くなった日本人は、兵隊や一般市民をふくめ、310万人を越えると報道されています。


「12月8日にあった主なできごと」

BC441年 シャカの悟り…仏教を開いたインドの シャカ が、王宮の妻子の元を離れて6年目のこの日、悟りを開いたといわれます。 

1980年 ジョン・レノン射殺される…世界的なロックバンド、ビートルズの中心メンバーだったジョン・レノンが、ニューヨークの自宅アパート前で、熱狂的なファンにピストルで撃たれて亡くなりました。

投稿日:2009年12月08日(火) 10:31

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)