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明治維新の立役者・西郷隆盛

今日12月7日は、大久保利通木戸孝允 と並び、徳川幕府を倒すために大きな功績のあった「維新の三傑」の一人西郷隆盛が、1827年に生まれた日です。

西郷は、薩摩藩(鹿児島県)の身分の低い武士の家に生まれました。当時の薩摩藩は、財政がとても苦しく、とくに身分の低い武士たちの暮らしは、3度の食事も満足にとれないほどでした。

しかし、貧しくても武士の子である西郷は、6、7歳のころから藩の学校へかよって、武士として必要なことを学びました。やがて、藩の仕事にはげむうち、農政改革を求める意見書で藩主島津斉彬(なりあきら)にその才能を認められ、しだいに重く用いられるようになりました。

ペリー 来航後の1854年には、斉彬の片腕となって、江戸や京都に出て活躍するようになりました。そのころ幕府では、第13代将軍徳川家定のあとつぎが問題になり、斉彬は、幕府老中の阿部正弘や土佐藩主の山内豊重らと、水戸藩主徳川斉昭の子の 一橋慶喜 を第14代将軍にむかえることを計画していました。そして西郷は、そのために力をつくすことを、斉彬に命じられていました。

ところが、この計画は大きくくずされたうえに、西郷の身に、危険がふりかかるようなことになってしまいました。井伊直弼 が幕府最高職の大老になると、直弼の力で、つぎの将軍には紀伊藩主の徳川家茂(いえもち)をたてることが決められ、さらに一橋家へ味方したものや、新しい政治を夢見て天皇中心の尊王攘夷をとなえる人たちへの、きびしい弾圧がはじまったのです。やがて1859年には、吉田松陰 や橋本左内らが死刑になった、安政の大獄という大事件にまで発展しました。

そのうえ、西郷には、もうひとつ大きな悲しみがふりかかりました。藩主斉彬の突然の死です。西郷は、大きな身体をふるわせて泣きました。そして、斉彬のあとを追って、自分も殉死することを考えました。同志である僧月照(げっしょう)と鹿児島湾に投身自殺を試みたのです。しかし、西郷は命を取りとめました。この事件で西郷は、これから自分がどのように生きるべきかを悟ったといわれています。

その後の西郷の歴史に残る活躍など、波乱に満ちた生涯につきましては、いずみ書房のホームページで公開しているオンラインブック「せかい伝記図書館」第30巻 「西郷隆盛」 をご覧ください。


「12月7日にあった主なできごと」

1867年 日本初の紡績工場…薩摩藩は、イギリスのプラット社から3600錘もの紡績機械を購入し、技師をつきそわせてこの日その荷が長崎に到着。まもなく薩摩藩は、バタンバタンの機織にかわる近代的な鹿児島紡績工場を操業させました。
 
1878年  与謝野晶子誕生…『みだれ髪』など明治から昭和にかけて活躍した歌人であり、詩人・作家・思想家としても大きな足跡を残した 与謝野晶子 が生まれました。

投稿日:2009年12月07日(月) 09:17

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)