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栄華をきわめた藤原道長

今日12月4日は、平安時代中期の貴族で、天皇にかわって摂政や関白が政治をおこなう「摂関政治」を独占してきた藤原氏の全盛期を生きた藤原道長が、1027年に亡くなった日です。

藤原氏は、中臣鎌足が、大化の改新の功によって天智天皇から藤原朝臣の姓をさずけられたのが始まりです。

藤原道長は、4人のむすめを天皇(長女彰子=一条天皇、次女妍子=三条天皇、3女威子=後一条天皇、6女嬉子=後朱雀天皇)のもとへ嫁がせ、朝廷の重要な官位をすべて一族で独占して天皇を自由にあやつり、政治の権力をほしいままにしました。

また、公地公民制を基礎とする律令制をくずして大きな土地を私有化し、その荘園から吸いあげたばく大な金によって、まさに生きながら極楽浄土にいるような栄華を楽しみました。

「この世をば わが世とぞ思う望月の 欠けたることもなしと思えば」という道長の和歌がありますが、(この世は、自分のためにある。夜空に輝く月の満ち欠けも自分の思い通りになるようだ)とは、日本史のなかでも、これほど思いあがった政治家はいないかもしれません。

しかし、道長の摂政政治による栄華をもとにした「藤原文化」が生み出されたことは特筆できることでしょう。浄土芸術をはじめ彫刻、絵画、建築などの優美な芸術が発達しました。さらに、紫式部の『源氏物語』をはじめ、和泉式部ら数々の才女たちを通して王朝文学が生まれました。

道長の晩年は、必ずしも心豊かなものではなかったようです。子どもたちに先立たれ、病気がちの日々でした。52歳で出家してからは、金色に輝く法成寺を建立し、来世へも極楽浄土の夢をつないで、62歳で生涯を終えました。

なお、道長の詳しい生涯につきましては、いずみ書房のホームページで公開しているオンラインブック「せかい伝記図書館」第20巻 「藤原道長」 をご覧ください。
 

「12月4日にあった主なできごと」
 
1722年 小石川養生所…江戸幕府は、貧しい病人のための無料の医療施設として、現在も文京区にある小石川植物園内に小石川養生所を設立しました。第8代将軍 徳川吉宗 と江戸町奉行の 大岡忠相 が主導した「享保の改革」における下層民対策のひとつで、町医者の小川笙船が将軍への訴えを目的に設置された目安箱に投書したのがきっかけでした。幕末まで140年あまりも、江戸の貧民救済施設として機能したといわれます。この診療所の様子は、山本周五郎の小説『赤ひげ診療譚』、この原作をもとに 黒沢明 が映画化した『赤ひげ』でも知られています。

1890年 血清療法…ドイツの細菌学者 コッホ のもとへ留学していた 北里柴三郎 は、破傷風とジフテリアの免疫血清療法を発見したことを発表しました。

投稿日:2009年12月04日(金) 06:54

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)