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天草四郎らの籠城

今日12月3日は、島原・天草地方のキリシタンの農民たち37000人が、藩主の厳しい年貢の取立てとキリシタンへの弾圧を強めたことから、1637年に少年天草四郎を大将に、島原半島の原城に籠城した日です。

江戸幕府が開かれて34年めの1637年、島原半島(長崎)と天草(熊本県)の農民が、キリスト教信者といっしょに反乱を起こしました。 約5か月、はげしい戦いがつづいた「島原の乱」で、天草四郎は、このときの指導者です。でも、武将ではありません。キリスト教を信仰した、まだ16歳の少年です。

四郎の父は、もとは、この土地をおさめていた武将小西行長の家来でしたが、行長が1600年の関ヶ原の戦いに敗れて殺されてからは浪人となり、天草で農業をつづけていました。四郎がキリスト教を信仰するようになったのは、行長も、父も、キリスト教の熱心な信者だったからです。しかし、キリスト教の信仰は、四郎の生まれたころから、幕府の命令できびしくとりしまられるようになっていました。

いっぽう、天草地方には1634年ころから農作物の不作がつづき、農民たちは口に入れるものもないほど、追いつめられていました。でも、島原城主松倉重政は、きびしい年貢の取りたてを決してゆるめてはくれません。おさめきれない年貢のかわりに嫁を人質にとられ、その嫁を殺された農民もいました。

怒りを爆発させた農民たちが立ちあがりました。キリスト教の弾圧に苦しんでいた人びとも、立ちあがりました。これが乱の起こりです。四郎も、人びとの先頭に立った父や浪人といっしょに武器を取り、島原半島の原城にたてこもりました。

「神は、弱く貧しいものの味方になってくださるはずだ」

四郎は、神を信じました。そのうえ、四郎には神のような力がそなわっているという、うわさが広がっていたため、人びとから「この世を救うために天からつかわされた神の使者」に、まつりあげられてしまいました。このとき「神の使者」四郎の胸のうちがどんなものだったのか、それはわかりません。しかし人びとは、四郎のもとに、ひとつにまとまりました。

年が明けて1638年の正月、乱を静めるために幕府の命をうけた12万以上の大軍に、原城をとりかこまれました。幕府軍は、原城のたべものや弾薬がなくなるのを待とうというのです。

四郎は、城の中で、神に祈りをささげ、農民たちに神の教えを説きました。そして、2月の終わり、敵が城内へ攻めこんでくると最後まで戦い、農民たちといっしょに討ち死にしました。死後、首を落とされ、さらに反乱にくわわった人たちも皆殺しにされ、神の使いの役を果たすことはできませんでした。

この乱のあと、幕府のキリスト教禁止は、ますますきびしくなりました。四郎が原城に立てていた旗がいまも残っています。

以上は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中)26巻「新井白石他」の後半に収録されている7名の小伝の一編 「天草四郎」 をもとにつづりました。

 

「12月3日にあった主なできごと」

1552年 ザビエル死去…1549年に、初めて日本へキリスト教を伝えたカトリックの宣教師 ザビエル が、亡くなりました。

1872年 太陽暦の実施…この日旧暦(陰暦)から新暦(太陽暦)に変わり、旧暦明治5年12月3日のこの日が、新暦明治6年1月1日となりました。日本では、7世紀末以来1200年以上も陰暦が使われてきましたが、幕末から欧米諸国との交渉が始まると、太陽暦と1か月前後の差が不便になり、国際的に広く使われているグレゴリオ暦の採用が急がれていました。

1894年 スティーブンソン死去…冒険小説「宝島」によって名をなし 「ジキル博士とハイド氏」 「誘惑されて」 など独自の文学を開いたイギリスの作家スチーブンソンが亡くなりました。

投稿日:2009年12月03日(木) 09:07

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)