今日12月1日は、漬物の「たくあん漬け」を考えたといわれる禅宗の僧・沢庵和尚が、1573年に生まれた日です。
但馬国(たじま・兵庫県)に生まれた沢庵の父は、戦国大名・山名家の重臣でした。しかし、山名家は羽柴(豊臣)秀吉にせめられて滅亡したため、沢庵は10歳で出家させられ、21歳のときに京都の大徳寺に入り沢庵と名乗りました。
きびしい修業を重ね、権力に屈しない強さ、名声や金銭に対して無欲無心、衣食住の贅沢を厳しく戒める生きかたを追求していきました。そして、34歳の時に大徳寺第1首座となり、37歳のときには大徳寺の住持(じゅうじ・主のこと)にまで出世しました。
ところが沢庵は1628年、朝廷が僧に与えた紫の衣を徳川幕府がとりあげる法律(諸宗諸本山法度)に反対をとなえたことで、遠く出羽国(山形県)に流されてしまいました。3年余りを出羽で過ごした沢庵は、許されて江戸へ戻ってきました。
沢庵は、詩歌や書画にもすぐれていたため、その名声は徳川3代将軍家光にもきこえ、再三の要請で、家光の側近くで相談役を務め、品川に沢庵のために家光が建てた東海寺の住持になりました。でも、その質素な暮らし方は変わることはありませんでした。
着るものは綿、食事は朝一椀の粥と夜一椀の粥で十分、住まいは畳一畳でよい。衣食住に心を煩わされることがなければ、金銀などは必要なし、ともいっています。禅宗の僧侶としての沢庵の心構えがよくわかります。
なお、家光が東海寺に沢庵を訪れたとき、ダイコンのたくわえ漬を供したところ、家光はいたく気に入って「これは、うまい。たくわえ漬ではなく沢庵漬とせよ」と命名してから、たくあん漬とよばれるようになったといわれています。
沢庵は1646年、無欲の人生を、江戸で終えました。
「12月1日にあった主なできごと」
1789年 ギロチンの採用…フランス革命のころ、死刑執行のために使われた首切り器械のギロチン。ギロチンは、医師のギヨタンが提案してこの日の国民議会で採用されました。ルイ16世やその妃 マリー・アントアネット をはじめ何万人もの人が首を切られましたが、ギヨタンもまたギロチンで処刑されました。
1903年 小林多喜二誕生…『蟹工船』『不在地主』『党生活者』などを著し、日本プロレタリア文学の代表作家といわれる 小林多喜二 が生まれました。
1997年 京都議定書…「地球温暖化防止会議」が、この日から10日間京都で行なわれ、地球温暖化の原因となる温室効果ガスをだす量を、先進国が国別に目標値を定めてへらしていくことを決めました。この取り決めは「京都議定書」と呼ばれています。