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江戸の国学者・賀茂真淵

今日11月27日は、江戸時代の中ごろに活躍した国学者で、本居宣長へ大きな影響を与えた賀茂真淵(かものまぶち)が、1769年に亡くなった日です。真淵は、万葉ふうの和歌をよんだ歌人でもありました。

真淵は、徳川綱吉が幕府を治めていた1697年に、遠江国(静岡県)浜松で生まれました。父は神社をあずかる神官でしたが、家は貧しく、家族は農業をして暮らしをたてなければなりませんでした。

幼いころから学問がすきだった真淵は、10歳のころから国学、漢学、歌を学びながら成長し、やがて30歳をすぎると京都へでて、国学者荷田春満(かだのあずままろ)の門に入りました。

ところが、数年ごに春満が亡くなり、先生を失った真淵は江戸に移って塾を開き、若い人びとへ講義をしながら国学の研究にはげむようになりました。また、49歳から63歳までの15年間は、江戸幕府8代将軍徳川吉宗の子の田安宗武にめしかかえられ、日本古代の研究を深めていきました。

「日本人のほんとうの心は、古典のなかにある。われわれは、日本の古い文学や歴史を見なおさなければだめだ」

真淵が考えたのは、中国から渡ってきた儒学の教えなどよりも、日本古代からの学問や文化を大切にして、日本という国を、もう一度しっかり、とらえなおそうということでした。

「日本人の心は、天皇から名もない貧しい人の歌まで、およそ4500首を集めた万葉集のなかに、いちばんよく表われている」

真淵は、万葉集の研究にとりかかりました。そして、歌の意味や、よんだ人の心を深く考え、ひとつひとつの歌に解説を加えた『万葉考』と題する本を出版しました。また、日本の古代からのことばや思想などについて考えた『文意考』『歌意考』『国意考』なども、次つぎに著しました。

いっぽう、国学の研究といっしょに歌もよみつづけました。とくに、上品さをたいせつにする新しい歌よりも、自分の心をそぼくに表わす古い形の歌をおおく作り、日本の和歌のほんとうの美しさを、人びとに見なおさせました。

国学と和歌ととおして日本を愛した真淵は、1769年に72歳で世を去りました。

しかし、国学の研究は、『古事記伝』を著した本居宣長 から、さらにその門人の平田篤胤へと受けつがれ、のちに、荷田春満、賀茂真淵、本居宣長、平田篤胤(あつたね)の4人を、国学の四大人とよぶようになりました。そして、この国学の思想は、そのごの日本人の心にはかりしれない影響をあたえ、やがては明治維新の志士を生む、大きな力になりました。

 

「11月27日にあった主なできごと」

1095年 十字軍の提唱…ローマ教皇ウルバヌス2世は、この日フランス中部クレルモンの宗教会議で、聖地エルサレムをイスラム教徒から奪回するために、聖なる戦いを勧告。これにより、胸に十字の標識をつけた兵士・キリスト教徒が聖地にむけて出発する「十字軍時代」が始まりました。

1894年 松下幸之助誕生…パナソニック(旧松下電器産業)を一代で築き上げた日本屈指の経営者であるとともに、PHP研究所を設立して倫理教育に乗りだ出す一方、松下政経塾を立ち上げて政治家の育成にも意を注いだ 松下幸之助 が、生まれました。

1895年 ノーベル賞の制定…ノーべル は、ダイナマイトなどで得た莫大な財産を、人類の平和と科学技術に貢献したものへ賞として贈るという遺言書に署名。この遺言で、ノーベル財団が設立され、亡くなった5年後の1901年に第1回ノーベル賞授賞式が行なわれました。

1958年 皇太子婚約発表…皇太子明仁親王(現天皇)と正田美智子さん(現皇后)の婚約が、この日に発表され、美智子さんが民間から出た最初の皇太子妃となることで日本中がわきたち、ミッチーブームがおこりました。

1959年 デモ隊2万人が国会構内に突入…1951年に締結された日米安全保障条約(安保)は1960年に改定がおこなわれることになり、アメリカ軍の日本駐留・配備を続けること、その活動範囲を極東全域に拡大するといった内容でした。この日、改定に反対する学生や市民らが国会周辺に押しよせ、デモ隊2万人余りが国会構内に突入したものです。

投稿日:2009年11月27日(金) 09:14

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)