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明治の先覚者・福沢諭吉

 今日11月25日は、慶応義塾を設立するなど、明治期の民間教育を広めることに力をそそぎ、啓蒙思想家の第一人者と評される福沢諭吉が、1876年に代表的な著書『学問のすすめ』最終巻を刊行した日です。
 
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず…」という有名な言葉などで、人間の独立と平等の精神を説いたのが『学問のすすめ』で、当時のベストセラーになりました。諭吉は、明治時代の初期に、この著書以外にも『西洋事情』などを著し、広く世界から知識を求めて、しっかり学び取らなくてはならないことを世間の人たちに訴え続けた先覚者でした。
 
諭吉は、1834年中津藩(大分県)の身分の低い武士の家に5番目の子として生まれました。2歳になる前に父が亡くなったため、貧しい暮らしを強いられ、しだいに封建的な身分制度を嫌うようになりました。そのため、当時の一般的な武家の子弟たちとは違って、神仏を敬うことへ反発するような子どもでした。14、5歳になって、ようやく自分だけ勉強をしないのも世間体が悪いということで漢書を読むようになりました。しかし、学問のおもしろさを知るようになるや、周囲のだれをもしのぐようになりました。
 
1854年、19歳で長崎へでて蘭学を学び、翌年大阪へ出て、緒方洪庵の適塾へ入りました。わかりやすい言葉で文章を書くこと、科学的にものごとを見ることの大切さなど、この塾で学んだ多くの体験が諭吉の血肉となりました。そして、3年後には適塾の塾頭になるほどでした。
 
1858年の冬には、江戸の中津藩に呼ばれ、そこで塾を開き蘭学を教えはじめました。これが、のちの慶応義塾です。ところが、ある日横浜へ出かけてびっくりしました。外国人の看板の文字が読めません。英語で書かれていたためでした。そこで、これからの時代は英語がわからなくては駄目だと悟った諭吉は、辞書と格闘し、独学で英語をものにしてしまいました。
 
1860年、勝海舟の率いる咸臨丸がアメリカへ渡ったとき、そのおともに付け加えてもらってから、1967年までに3度も通訳として外国へ渡り、見聞を広めていきました。その体験から書き上げたのが『学問のすすめ』や『西洋事情』でした。
 
なお、諭吉の詳しい生涯につきましては、いずみ書房のホームページで公開しているオンラインブック「せかい伝記図書館」第31巻「福沢諭吉」をご覧ください。
 

「11月25日にあった主なできごと」
 
1890年 第一回帝国議会の開催…明治憲法発布翌年のこの日、帝国議会が開かれました。議会は、貴族院と衆議院の2院からなり、貴族院議員は皇族・華族、多額納税者などから選ばれました。衆議院の議員は、25歳以上の男子で国税15円以上を納める人に限られるなど、当時の人口のおよそ1パーセントが有権者であるにすぎませんでした。
 
1892年 オリンピック復活の提唱…クーベルタン男爵はアテネで古代競技場が発掘されたことに刺激され、スポーツによる世界平和を築こうとオリンピック復活の提言を発表、オリンピック委員会が作られました。

1970年 三島由紀夫割腹自殺…『仮面の告白』『金閣寺』『潮騒』などちみつな構成と華麗な文体で人気のあった作家三島由紀夫が、アメリカに従属する日本を憂えて自衛隊の決起をうながすも受け入れられず、割腹自殺をとげました。  

1987年 ハイビジョンの日…高精密度テレビ「ハイビジョン」の走査線が、従来のテレビの走査線525本に対し、1125本であることから、この日が「ハイビジョンの日」と制定されました。

投稿日:2009年11月25日(水) 08:32

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)