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歌曲王・シューベルト

今日11月19日は、『ぼだい樹』『野ばら』『アベ・マリア』など600曲以上もの歌曲や、『未完成交響曲』などの交響曲や室内楽曲、ピアノ曲などを作曲したシューベルトが、1828年31歳の若さで亡くなった日です。
 
シューベルトは、1797年オーストリアの音楽の都ウィーン郊外に、小さな小学校の校長だった父の4男として生まれました。シューベルトは、小学校へ入るとまもなく、音楽がすきな父と兄たちから、楽譜の読み方から声楽、バイオリン、ピアノを習いはじめました。
 
家が貧しかったために、11歳の時、学資のかからないコンビクト(寄宿制王立神学校)の採用試験に合格して合唱隊員になりました。ここでは当時一流の作曲家の教えを受けるかたわら、友人のシュパウンが組織した学生管弦楽団のバイオリン奏者、のちには指揮者を務めました。また、学校の休暇には父や兄たちと弦楽四重奏曲を楽しみ、たくさんの音楽体験を重ねました。
 
神学校を去る16歳までに、すでに交響曲、弦楽四重奏曲、歌曲などを作曲するほどでした。家にもどったシューベルトは、師範学校に通ったのち、父の学校で教員になりました。でも、内気な性格のためか、先生の仕事は好きになれません。子どもに教えるかたわら、暇をみつけては作曲にはげみました。18歳の時には、歌曲『さすらい人の夜の歌』『野ばら』『魔王』など1年間に100曲以上もこしらえました。作品に魅せられた友人たちが集まって、シューベルトの音楽に親しむ会も行われるようになりました。
 
でも、いなか教師のシューベルトの暮らしは、あい変わらず貧しいものでした。そんなシューベルトのようすをみかねた親友のシュパウンは、いっしょに暮らして音楽に打ちこまないかと提案しました。こうしてシューベルトは教師をやめ、自由に作曲活動に打ちこめるようになったのです。
 
シューベルトの詳しい生涯につきましては、いずみ書房のホームページで公開しているオンラインブック「せかい伝記図書館」第9巻 「シューベルト」をご覧ください。
 
 
「11月19日にあった主なできごと」
 
1805年 レセップス誕生…地中海と紅海を結びインド洋へとつながる海の交通の要・スエズ運河を建設した レセップス が生まれました。
 
1827年 小林一茶死去…江戸時代後期の俳人で、子どもや動物、自然を愛して素朴な歌を読み続けた 小林一茶 が亡くなりました。
 
1863年 リンカーン歴史的演説…南北戦争中のこの日、アメリカの リンカーン はゲティスバークで「人民の人民による人民のための政治」という演説を行ないました。これはデモクラシーの理念を明確に示すものとして、世界的に有名になりました。
 
1956年 東海道本線全線電化…米原、京都間がこの日電化され、東海道本線が全線電化。電化完成により、東京、大阪間を走る最速特急が7時間半となりました。これを記念し、1964年からこの日を「鉄道電化の日」としています。
投稿日:2009年11月19日(木) 08:10

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)