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玉川上水

今日11月16日は、江戸幕府が急増する江戸市民の水を補うために、1653年のこの日に玉川上水を完成させた日です。

徳川家康が、1603年に江戸(東京)に幕府を開き、政治の中心となって発展していくにつれて、困った問題がおこってきました。人口の急激な増加のために、飲料水が不足してきたのです。

以前の江戸は、海だったところが多く、そのため井戸を掘っても良い水がでません。そこで、1629年 3代将軍 徳川家光 の時代に、井の頭池(三鷹)から「神田用水」(神田川) を引きましたが、これでも足りません。

そこで幕府は、1653年1月、利水技術にすぐれていると評判の玉川兄弟(庄右衛門、清右衛門)に建設を命じました。着工は同年4月、多摩川上流の羽村から四谷までおよそ50kmに水を通すという計画でした。

しかし、羽村から四谷までの標高差はわずか100mしかなかったこともあって、工事は困難を極め、工事費として渡された6000両は高井戸付近で底をつき、それ以上の資金を出さない幕府にかわって、玉川兄弟は家屋敷を売却するなどして自腹で資金を調達し、8か月後にようやく四谷大木戸まで、溝を掘りきることができました。

その後この水は、大木戸の水門から、地下にうずめられた木製の水道管を通って江戸市中に配られました。すべてが終了したのは翌年の6月20日のことで、工事開始から1年以上もかかりました。これにより、江戸の飲料水の4分の1は「神田用水」、4分の3は「玉川上水」でまかなうようになりました。

農民だった玉川兄弟は、この功績により200石の武士にとりたてられ、玉川姓を許されて玉川上水役のお役目を命じられました。羽村のとり入れ口には、玉川兄弟の銅像がたてられています。

なお、わが住まいは玉川上水沿いにあり、今も清流に鯉や鴨が遊び、側道は四季折々の自然が楽しめる散歩道としてたくさんの人に愛され、私にとっても愛着が深く、まさに「俺家(おらんち)の川」といった感覚です。


「11月16日にあった主なできごと」

1523年 インカ帝国皇帝捕えられる…15世紀から16世紀にかけてペルー南部に栄えたインカ帝国は、クスコを中心に石造建築や織物、金銀細工など優れた文明を築きましたが、この日スペインの ピサロ は、帝国のアタワルバ皇帝をだまして捕えました。翌年インカ帝国は滅亡、スペインは南アメリカ大陸のほとんどを長い年月支配することになりました。

1614年 高山右近 国外追放…織田信長、豊臣秀吉、徳川家康につかえた高山右近は、築城術もたけ茶道にも長じたキリシタン大名でしたが、禁止されたキリスト教を捨てなかったためにこの日国外追放、40日後にマニラで亡くなりました。

投稿日:2009年11月16日(月) 09:17

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)