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「ちいさい秋みつけた」 のサトーハチロー

今日11月13日は、「ちいさい秋みつけた」「かわいいかくれんぼ」「わらいかわせみに話すなよ」などの童謡や、戦後大ヒットした歌謡曲「リンゴの歌」「長崎の鐘」などの作詞を手がけた、詩人・作家のサトーハチローが、1973年に亡くなった日です。

サトーハチローは、作家の佐藤紅緑の長男として、1903年に東京・市谷に生まれました。幼い頃に、鍋の熱湯を背中に浴びた大やけどのせいで、ハチローは、母親のハルの小さな背中に背負われて小学校へ通うほどでした。家でボンヤリ過ごすことが多いのをふびんに思ったハルは、自分の通う教会にハチローを連れ出しました。この教会で賛美歌にふれたことが、ハチローの詩心を刺激したと思われます。

中学に入学したころ、父は舞台女優と同棲するようになり、その浮気が原因でハルを離縁した父への反発から、ハチローは中学を落第、さらに退校、父から勘当され、留置場入りを重ねるような荒れた青春時代でした。

感化院のあった小笠原島で詩人の福士幸次郎と生活を共にする中で、大きな影響を受けながら詩作をするようになり、やがて福士の紹介により西條八十に弟子入りして童謡を作りはじめました。

1930年代からは童謡や詩だけにとどまらず、小説や映画の主題歌などもも手がけるようになり、日本コロムビアと専属契約を結び、第二次世界大戦中も妻子を千葉県に疎開させて、自身は東京に残って仕事を続けました。

そして1945年に終戦をむかえ、戦後初めてとなる映画「そよかぜ」の挿入歌に作詞をした「リンゴの唄」が大ヒットし、戦後の日本を象徴する歌となりました。

NHKのラジオ番組「話の泉」のレギュラーとなったり、NHKのラジオドラマ「ジロリンタン物語」の原作を執筆したり、1969年には、日本童謡協会をつくり、会長をつとめました。

母親への想いをうたった詩集「おかあさん」など叙情的な作風で知られる反面、私生活は放蕩、奇行が多かったようです。

なお、いずみ書房が刊行している 「みんなのおんがくかい」 は、日本を代表する120曲の童謡を中心に、12冊の絵本と12枚のCDで構成されていますが、サトウハチロー作詞による童謡は「おつきさまとぼうや」「かわいいかくれんぼ」「ちいさい秋みつけた」「パチリコパチリンなんだろな」「わらいかわせみに話すなよ」の5曲を収録しています。このシリーズの特徴として、全曲に、母親がわが子に、曲にまつわるちょっとしたお話をしてあげられるようなっています。ちなみに、「ちいさい秋みつけた」には、こんな言葉が添えられています。

ちいさい秋──これは「もう、秋になりましたよ」って教えてくれる秋のことなの。「鬼さん、こちら、手の鳴るほうへ」って鬼ごっこをしていたら、目かくした鬼さんの耳に、秋になったら木の枝でキョン、キチキチキチと鳴くモズの声が聞こえてきて、鬼さんは「あら、もうあきになったんだわ」って思ったのね。「鬼さん、こちら」って手をたたいていたみんなも、手をたたくのをやめて「ほんとうに、もう秋ね」って思ったの。
秋は、こんな鳥の声や、すずしい風や、お店に並びはじめるクリやブドウといっしょに、そっとそっとやってくるのよ。
でも秋がくるのを、いちばんよく知っているのは、虫たちかもしれないわね。だって、秋は、虫たちの楽しい季節でしょ。
長い夏休みが終わったら、学校では、みんなが赤い帽子をかぶって、白い帽子をかぶって、運動会の練習がはじまるわね。あれも、小さい秋かしら。


「11月13日にあった主なできごと」

1695年 お犬小屋設置…1687年に江戸幕府5代将軍 徳川綱吉 の出した「生類あわれみの令」で急増した野犬を収容するために、武蔵野国中野村(東京・中野区)に16万坪もの「お犬小屋」をこしらえ、10万頭もの野犬を収容しました。

1850年 スティーブンソン誕生…冒険小説 「宝島」 や古典的SF小説 「ジキル博士とハイド氏」 などを著したイギリスの作家R・スティーブンソンが生まれました。

1890年 ツベルクリン療法…結核菌を発見したドイツの細菌学者 コッホ は、ツベルクリンを注射して結核に対する免疫が体内にできているかを診断するツベルクリン療法を、論文に発表しました。

投稿日:2009年11月13日(金) 09:14

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)