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近代彫刻の父・ロダン

今日11月12日は、19世紀を代表する彫刻家で『考える人』『カレーの市民』『バルザック』などの名作を数多く残したロダンが、1840年に生まれた日です。
 
フランスの首都パリに生まれたオーギュスト・ロダンは、幼いころから彫刻が上手で、13歳の時に工芸学校へ入りました。卒業後は、芸術家の登竜門である官立美術学校へ進もうとしましたが3年続けて受験に失敗、それ以後は古代ギリシアの彫刻や、ミケランジェロの彫刻を手本に、独学で彫刻を学びました。
 
20歳のころには,彫刻家や建築家の助手になってはたらきはじめました。ところが23歳の時、ロダンの彫刻への一番の理解者だった姉が修道院で自殺したことにショックをうけ、見習い修道士として1年余りを修道院で過ごしました。
 
しかし、彫刻以外に生きる道がないとさとったロダンは、1864年に『鼻のつぶれた男』をサロンに出品しました。でも、作品はまったく評価されませんでした。当時の彫刻は、貴族たちの喜ぶ美しい彫刻が当たり前で、鼻のつぶれた醜い男をモデルにした彫刻など、ふざけているとしか思えなかったのでしょう。酷評にショックを受けたロダンは、12年もの長い間作品を発表しませんでした。
 
彫刻家の弟子として腕をみがき続けたロダンは、1877年に『青銅時代』という彫刻を展覧会に出品しました。この作品は、等身大の男性像で、あまりにもたくみにできているため、「人体から型を取ったのではないか」との疑いがかけられてしまいました。憤慨したロダンは、2年後に実物の人間よりもかなり大き目のサイズの彫刻を新たにこしらえてみせました。これにより、審査員たちの疑いは賞賛の言葉に変わり、ロダンの名は一気にフランス中に広まっていったのです。
 
ロダンの詳しい生涯につきましては、いずみ書房のホームページで公開されているオンラインブック「せかい伝記図書館」第12巻 「ロダン」 をご覧ください。
 

「11月12日にあった主なできごと」
 
1866年 孫文誕生…「三民主義」 を唱え、国民党を組織して中国革命を主導、「国父」 と呼ばれている 孫文(そんぶん) が生まれました。
 
1871年 日本初の女子留学生… 岩倉具視 を団長に、伊藤博文、木戸孝允 ら欧米巡遊視察団48名がこの日横浜港を出港。そこに59名の留学生も同乗、その中に後に「女子英学塾」(現在の津田塾大学)を設立する6歳の津田梅子ら5名の女子留学生の姿がありました。
 
1898年 中浜万次郎死去…漂流の末アメリカ船にすくわれ、アメリカで教育を受け、アメリカ文化の紹介者として活躍した 中浜万次郎(ジョン万次郎) が、亡くなりました。
 
1948年 極東軍事裁判判決…太平洋戦争敗戦後、GHQ(連合軍総司令部)による占領政治が開始されると、満州事変以来の政府と軍部指導者の戦争責任をさばく極東軍事裁判(東京裁判)が1946年から31か月にわたっておこなわれました。この日に最終判決が下され、東条英機 ら7名に死刑、被告25名全員が有罪とされました。

投稿日:2009年11月12日(木) 10:20

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)