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白鳳文化を生んだ天武天皇

今日11月11日は、645年におこった大化改新の事業を完成させ、革新の気風あふれた白鳳文化を生んだ天武天皇が、686年の死後2年余りたった688年のこの日に葬られたとされる日です。

天智天皇 (中大兄皇子) が亡くなって、つぎの年の676年6月、朝廷のなかが2つに分かれて、はげしい戦いが始まりました。のちに、壬申の乱とよばれるようになった戦いです。

天智天皇のあとには、天皇の子どもの大友皇子が即位することになりました。ところが、天皇の位をねらっていた、天智天皇の弟の大海人皇子(おおあまのおうじ)が、おいの大友皇子を討つ兵をあげたのです。

役人も豪族たちも、2つに分かれ、戦いは、およそ1か月つづきました。そして、大海人皇子の軍が近江(滋賀県)の大津京をうちやぶり、大友皇子を、自害させてしまいました。

この大海人皇子が、第40代の天皇の天武天皇です。

「朝廷の力を固めて、しっかりした国家をきずこう」

天武天皇は、力で天皇の位をうばいはしましたが、天皇中心の国家をねがっていた天智天皇の心は、そのまま、ひきつぎました。

国の都を近江から飛鳥(奈良県)ヘ移すと、唐の国の「律令」にならった制度をとり入れて、まず、朝廷の官位の制度を改め、太政大臣、左大臣、右大臣などはおかずに、皇族中心の政治をおこなうようにしました。また、のちには、天皇に心からしたがう豪族には朝臣(あそん)、宿禰(すくね)、忌寸(いみき)などの姓をあたえて、朝廷にそむかせないようにしました。

土地はすべて国のものとするという「大化の改新」の方針をつらぬき、天智天皇が豪族たちに返していた土地を、ふたたび朝廷にとりあげました。そのうえ、豪族たちに命じて国を守る兵の力を強めさせ、天皇の権力で国をおさめる政治を、ますます、おし進めていきました。

日本は天皇を中心にして栄えてきたことを、歴史に残すために、682年ころから、国史をまとめるしごとにもとりかかりました。しかし、この大しごとは、それから4年のちに天皇が亡くなるまでには、完成しませんでした。でも、これがもとになって、やがて奈良時代に『古事記』と『日本書紀』がつくりあげられ、古代日本のさまざまなすがたが明らかにされました。

天武天皇は、国をひとつにまとめるために、さまざまな制度を定めて、まわりの人びとがおそれるほど天皇の権力をふるいました。しかし、そのおかげで、やがて日本は、はなやかな奈良時代へとひらけていきました。天皇の死後、第3皇子の大津皇子は、天皇の位をねらうむほんを起こした疑いで捕えられ、自殺しました。天武天皇が、大友皇子を自害させたことを思うと、ひにくな運命というより、しかたがありません。

以上は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中)19巻「聖徳太子・中大兄皇子」の後半に収録されている14名の小伝の一編 「天武天皇」 をもとにつづりました。


「11月11日にあった主なできごと」

1620年 メイフラワーの誓い…2か月前にイギリスのプリマス港を出航したメイフラワー号は、この日北メリカのケープコッドに到着。ピルグリム・ファーザーズ(巡礼始祖のことで、アメリカに渡ったイギリスの清教徒たち)と呼ばれる移民たちは船上で、自治の精神に基づき自由で平等な理想的な社会を建設することをめざす誓いをかわしました。こうして、1620年から1691年までの北アメリカにおけるイギリス植民地のさきがけとなるとともに、その精神はアメリカ民主主義の基となりました。

1840年 渋沢栄一誕生…幕末には幕臣、明治から大正初期にかけて大蔵官僚、実業家として活躍した 渋沢栄一 が、生まれました。

1881年 ドストエフスキー死去…「罪と罰」「カラマーゾフの兄弟」などを著し、トルストイやチェーホフとともに19世紀後半のロシア文学を代表する文豪・思想家の ドストエフスキー が、1881年に亡くなりました。

1918年 第1次世界大戦終結…前年アメリカ合衆国の参戦により、決定的に不利となったドイツは、この日休戦条約に調印。第1次世界大戦が終結しました。

1952年 ヘディン死去…87年の生涯を中央アジア探検にそそいだスウェーデンの探検家 ヘディン が、亡くなりました。

投稿日:2009年11月11日(水) 09:04

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)