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蒸気船のフルトン

今日8月17日は、アメリカの技術者で発明家のフルトンが、1807年、ハドソン川で蒸気船の試運転に成功した日です。

フルトンは、初めて蒸気船をつくった人として知られています。しかし、フルトンのほかにも蒸気船をつくった人は、すでに何人かいました。けれども、実際の役に立ちませんでしたし、ねうちを理解する人もほとんどいませんでした。フルトンは、実用的な蒸気船を発明し、その便利さをおおくの人に伝えました。

フルトンは、1765年にアメリカのペンシルベニア州に生まれました。子どものころから、絵をかいたり、機械をいじったりするのが大すきで、学校の勉強はあまりしませんでした。父親が、早く死んでしまったので、フルトンは、自分の力で家族をやしないました。17歳になると、フィラデルフィアへでて、4年間、はたらきました。安定した収入を得るようになると、とくいだった絵を勉強して画家をこころざします。しだいに、絵の仕事もふえ、ゆとりのある生活になりました。そこで、イギリスへ留学して、さらに深く絵を学びました。

イギリスは、産業がめざましい発展をとげている時でした。フルトンは、アメリカでは見られなかった、めずらしい機械に心をうばわれ、ついには、絵筆をほうりだして、科学の研究のみの毎日をすごすほどでした。布を織る機械や、ロープを作る機械などをつぎつぎに発明し、蒸気船の開発にもとりくみ始めました。1803年、フルトンは、最初の蒸気船をつくりました。しかし、その船は、スピードがでなくて、実際には使えそうもありませんでした。フルトンは、あきらめず研究をつづけますが、まわりの人びとは「フルトンのばか」と言って、あざけるばかりです。でも負けずに、ねばり強く苦心を重ねた結果、新しい蒸気船を完成しました。船の両側につけた水かき車を蒸気機関のはたらきで回して、進むというしくみです。

1807年8月17日、フルトンは、大ぜいの人たちのまえで、蒸気船の試運転をしました。クラーモント号と名づけられた船は、まっ黒なけむりをもくもくとはきながら、ハドソン川を走りだしました。ニューヨークからオルバニーまでの242キロを、32時間というびっくりするようなスピードでした。そのころ使われていた、風の力で走る船は、同じきょりを走るのに48時間もかかっていたので、16時間も速く走ったわけです。何千人もの見物人は、おどろきの歓声をあげました。

その後、蒸気船はますます発達して、アメリカはもとより、ヨーロッパでも走り回るようになりました。産業の発展を、おおいに助けた発明でした。

以上は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで公開中)8巻「モーツァルト・ナポレオン・ベートーベン」の後半に収録されている7編の小伝の一編「フルトン」をもとに記述したものです。


「8月17日にあった主なできごと」

1949年 松川事件…東北本線の福島県松川市付近で、レールの釘がはずされていたため列車が転覆し、機関士ら3人が死亡する「松川事件」がおきました。この事件は、国鉄の労働組合や共産党が仕組んだものとされ、労働組合員ら20人が逮捕されました。1963年に判決がおり、全員が無罪となりましたが、この事件をきっかけに政府の労働組合への取り締まりが強化され、日本の労働運動は急速に弱まっていきました。当時おきた下山事件、三鷹事件とともに「国鉄3大ミステリー」といわれています。

投稿日:2009年08月17日(月) 09:25

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)