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『風神雷神』 の俵屋宗達

今日8月12日は、『風神雷神図』 などを描いた江戸時代初期の画家俵屋宗達(たわらや そうたつ)が、1643年に亡くなったと思われる日です。

京都市東山区にある建仁寺に『風神雷神図』をえがいた国宝のびょうぶが残っています。鬼のような顔をした、風をつかさどる神と雷をつかさどる神が、雲に乗って空を飛んでいる日本画です。金色のびょうぶの右左にえがいた神は、いまにもあらしを起こしそうな迫力にあふれ、江戸時代の日本画の最高けっ作のひとつに数えられています。この名画をかいたのが俵屋宗達です。

Fujinraijin-tawaraya.jpg

宗達は、この名画が物語るとおり、江戸時代初めのころの、すぐれた日本画家です。しかし、生涯のことは、ふしぎなほど不明です。生まれた年や死んだ年さえはっきりわかりません。絵のほかには、宗達のことを伝えるものが、ほとんどないからです。

宗達が初めのころにえがいたものは、扇、色紙、短冊、本などを飾った小さな絵でした。金銀の粉をとかした絵のぐでかいた、金銀泥絵とよばれるものです。書の名人本阿弥光悦が書く文字の下にえがいたものが有名ですが、数では扇絵がおおく、宗達は京都の町で扇屋を開く町絵師だったのだろう、と考えられています。

しかし、ただの町人絵師ではありませんでした。茶道の名人千利休の次男の少庵を茶の湯の会に招いたことが伝えられており、文化人とのまじわりのおおい、教養の深い人物だったようです。生活も豊かだったにちがいありません。

四季の草花、波、鹿などをおおくえがいた金銀泥絵のあと、やがて宗達は、大きな水墨画にいどむようになりました。

1621年に、京都養源院の、ふすま20面にえがいた松の絵、杉戸4枚にえがいた獅子や象の絵が、初めての大作です。そして、そののち10年ぐらいのあいだに『風神雷神図』をはじめ『松島図』『源氏物語関屋澪標図』などのびょうぶ図の名画を、つぎつぎにえがいていきました。

宗達は、生きているあいだに、朝廷から、すぐれた仏師とか僧、歌人、絵師、医者などにあたえられる、法橋という位をさずけられていましたが、この法橋という位を受けたのは、水墨画の大作をえがき始めたころとみられています。

初めは職人のような町絵師だった宗達は、それまでの日本画に、いかにも町人あがりらしい大たんな技術を加えて、自分だけの絵の世界をきずきあげたのです。

宗達には、金銀泥絵をかいていたころから、たくさんの弟子がいました。しかし、美しい広がりをもつ絵は、ほとんど、だれにもひきつがれませんでした。

以上は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで公開中)25巻「徳川家康・松尾芭蕉・近松門左衛門」の後半に収録されている7編の小伝の一編「俵屋宗達」をもとに記述したものです。


「8月12日にあった主なできごと」

紀元前490年 マラソンの始まり…ギリシアのマラトン(英語読みマラソン)で、1万人のギリシア軍と10万人のペルシア軍が戦いギリシアが勝利をおさめました。戦いに勝ったことを知らせるために、ギリシア兵のフェイディピデスが首都アテネまでの42,195mを休まずに走り続け「わが軍勝利」といって死んでしまいました。この逸話を記念して、1904年の第1回近代オリンピックから、マラソン競技としてとり入れられました。

紀元前30年 クレオパトラ死去…古代エジプト・プトレマイオス朝最後の女王 クレオパトラ が、毒蛇に身をかませて亡くなったといわれる日です。

1893年 「君が代」「日の丸」制定…「君が代」など8曲が小学校祝日唱歌に定められ、国民の祝典や学校の式では必ず歌われるようになりました。太平洋戦争後は、天皇を賛美する歌として強制されなくなりましたが、1999年「国旗国歌法」で正式に「日の丸」が国旗、「君が代」が国歌と定められました。国民の誰もがよろこんでうたえる国歌がほしいという声も根強いものがあります。

1962年 太平洋単独横断…堀江謙一が小型ヨット(全長5.8m 幅2m)で兵庫県西宮をたった一人で出発し、93日後のこの日アメリカのサンフランシスコに到着。日本人初の太平洋横断に成功しました。

1985年 日航ジャンボ機墜落…日航機123便が、群馬県御巣鷹山の南にある高天原(たかまがはら)山に墜落。死者520人という日本国内で発生した航空機事故では最多、単独機の航空事故では世界最多という大惨事となりました。「上を向いて歩こう」を歌い世界的ヒットをさせた歌手坂本九もこの犠牲者の一人。

投稿日:2009年08月12日(水) 09:07

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)