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庶民文学の創始者 井原西鶴

今日8月10日は、江戸時代に「浮世草子」とよばれる庶民のための小説を数多く著した井原西鶴(いはら さいかく)が、1693年に亡くなった日です。

江戸時代も、5代将軍 徳川綱吉 のころになると平和がつづき、武士の権威はしだいに落ちていき、いっぽうで大商人がぞくぞくあらわれ、町人の世界はいちだんと活気をおびてきました。西鶴は、そういう町人の生活や感情をいきいきととらえ、すぐれた作品を数おおく残した江戸時代の代表的な小説家です。

西鶴は、大坂(大阪)の裕福な町人の子として、1642年に生まれたようですが、おいたちについてはほとんどわかっていません。15歳のころから俳諧をつくりはじめ、21歳のときに専門の俳諧師になりました。このころの俳諧は、貞門派といって用語のこっけいさを基本としたものでした。西鶴が30歳のころ、新しい俳諧をつくろうという一派が現われました。この派は、談林派といい、自由でユーモアのある誰にも親しめる俳諧をめざしました。貞門派の俳諧に不満をいだいていた西鶴は、談林派の中心となって活躍をはじめました。

さらに、俳諧は即興で作るべきだと考えた西鶴は、1677年1昼夜に1600句を制作してみせました。これは矢数俳諧とよばれるもので、2度目には4000句を、1684年におこなった3度目にはなんと2万3500句を、24時間ぶっとおしでよんでみせました。4秒間に1句という驚くべき想像力です。西鶴は、これを最後に俳諧をやめました。というのも、その2年前に『好色一代男』というはじめての小説を発表し、好評だったからです。

「ここには、浮世(この世)がみごとに写しだされている」

西鶴のこの小説は、のちに「浮世草子」とよばれるようになり、おりからの矢数俳諧の名声も手つだって、町人たちのあいだに爆発的に売れていきました。

西鶴は、それからの11年間に、たくさんの作品を書きました。自由な構想、奇ばつな描写、俳諧でみがかれた文体は、たいへんわかりやすいうえに新鮮で、登場人物は、みんないきいきしていました。

作品は大きく3つにわけられます。『好色一代男』をはじめ『好色五人女』『好色一代女』など、好色物といわれる作品群。『武道伝来記』や『武家義理物語』など武士の義理と人情や仇討ちなどをあつかった武家物。『日本永代蔵』や『世間胸算用』など町人たちのくらしぶりを描いた町人物です。

とくに町人物にすぐれた作品がおおいといわれるのは、やはり西鶴が町人の出で、町人の生活をよく知っていたからでしょう。その写実的な手法は、庶民文学の創始者として、近代文学に大きな影響を与えています。

以上は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで公開中)27巻「本居宣長・杉田玄白・伊能忠敬」の後半に収録されている7編の小伝の一編「井原西鶴」をもとに記述したものです。

投稿日:2009年08月10日(月) 09:20

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)