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アンネ一家逮捕される

今日8月4日は、『アンネの日記』を書いたドイツ系ユダヤ人アンネ・フランクの一家が、オランダ・アムステルダムの隠れ家に潜行生活中の1944年、ナチスの秘密警察ゲシュタボに逮捕された日です。逮捕された後、アンネは家族とともにポーランドのアウシュビッツ強制収容所に移送されました。その後姉とともに送られたドイツのベルゲン・ベルゼン女子収容所で、1945年3月発しんチフスのため亡くなりました。病気と飢えと寒さが少女の命を奪って、わずか15年の生を閉じたのでした。

アンネ・フランクは、1929年ドイツの商業都市フランクフルトに、ユダヤ系ドイツ人実業家オットー・フランクの家庭に2人姉妹の次女として生まれました。

当時のドイツは、ナチ(ナチス)の略称で知られる国家社会主義ドイツ労働党が台頭していました。ヒトラー の率いるナチは、偏見に満ちた過激な思想を持っていました。ユダヤ人をはじめ黒人、ロマ(ジプシー)、心身障害者などは、一般社会で生きている資格がないといい、「とりわけユダヤ人は、なまけ者で欲が深く、ユダヤ人を野放しにしていたら、ドイツは滅びる」といい続けていました。

ユダヤ人が10万人も兵士として戦った第1次世界大戦に、ドイツは敗れました。莫大な賠償金を要求されたドイツは、敗戦後は荒廃して、失業者が国じゅうにあふれました。そんな苦しい時代に、ヒトラーが救世主のように現れました。ドイツ人の多くは、「ユダヤ人を追放すれば、ドイツは栄え、豊かな生活が約束される」というヒトラーの言葉を信じたのです。

ドイツで暮らすことが困難になったユダヤ人たちは、1933年には63000人もがドイツを離れました。フランク一家も、ドイツからオランダにわたったのでした。

アムステルダムで暮らすことになったアンネは、両親の愛情に包まれて育ち、自由な校風で知られるモンテッソーリ・スクールでのびのびとした学園生活を送っていました。ところが、1939年9月、ドイツ軍はポーランドに侵入すると、イギリスとフランスがドイツに宣戦布告をして、第2次世界大戦が始まりました。さらに、1940年5月にはドイツ軍はオランダを占領し、ユダヤ人は職場を追われ、7月になると強制収容所に送りこむというのです。

『アンネの日記』は、アンネ・フランクが、13歳の誕生日に両親から日記帳を贈られたのをきっかけに、アムステルダムの隠れ家で1942年6月14日から1944年8月1日までの2年余りの生活をつづったものです。

日記は隠れ家の住人の援助者の一人によって居住跡からみつけだされ、ただ1人生還した父オットーの手に渡りました。1947年にオランダ語の初版が出版され、5年後に英語版が刊行されると世界的反響を呼びおこし、特異な生涯と、豊かな感受性と洞察力をもって、思春期をむかえた少女の心の動きが見事につづられた記録として各国語に翻訳され、人種差別や、ファシズムと戦争を告発する書として、世界的なベストセラーとなりました。舞台化や映画化もされて、いまも世界じゅうの人々に大きな感動と勇気を与えつづけています。

なお、『アンネ・フランク』の日記や、伝記を読んだ子どもたちの感想文を記した、2006年5月30日ブログ  「アンネの日記」をぜひご覧ください。


「8月4日にあった主なできごと」

1830年 吉田松陰誕生…佐久間象山 らに学び、1857年に私塾「松下村塾」を主宰し、幕末から明治にかけて活躍した 高杉晋作伊藤博文 らおよそ80人の門下生を育て、1859年に「安政の大獄」で刑死した長州藩士 吉田松陰 が誕生しました。

1875年 アンデルセン死去…『マッチうりの少女』『みにくいあひるの子』『人魚姫』など150編以上の童話を生み出し、「童話の王様」と讃えられる アンデルセン がなくなりました。

投稿日:2009年08月04日(火) 09:08

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)