今日8月3日は、水力紡績機を発明するなど、イギリスにおこった産業革命の担い手となったアークライトが、1792年に亡くなった日です。
ほとんどの発明は、一人の人間がとつぜんにつくりだすものではなく、まえの人が考えたものを土台にして、改善されながら、新しい実をむすぶものです。紡績機を発明したアークライトは、身の回りにある機械の長所を大いにとりいれました。まず、手動の単純な紡績の機械を、水力式にして生産力を高め、さらに蒸気機関をとりいれ、紡績工場の近代化をすすめました。
リチャード・アークライトは、1732年イギリスのプレストンという小さな町に生まれました。子だくさんの貧しい家でしたので、アークライトは10歳の時、床屋へ小僧にだされました。18歳になると、独立してボストンに店をひらきました。毛ぞめ液をつくったり、かつらの毛を売り買いしたりして、たくわえもできるようになりました。アークライトが紡績機に関心をもちはじめたのは、かつらの毛を仕入れるために国じゅうを旅して見聞をひろめていたころです。
18世紀もなかば、世の中は産業革命によって、近代資本主義社会へうごきはじめていました。イギリスは、植民地から原料をはこんできて、それを製品にして輸出するために、商工業がめざましく発展してきました。とくに、インドの綿花を織る紡績業は、産業の中心です。しかし、織機の進歩にくらべて、糸をつむぐ紡績機が追いつきません。そのころつかわれていたジェニー機にしても、人力によるものでしたから、能率に限りがありました。アークライトは、何とかジェニー機以上にはたらく機械をつくろうと苦心しました。そして、床屋をやめて発明にうちこみ、ついに1769年、水力紡績機をつくりだしました。そのころは、飛躍的な時代の波に乗って、あわよくば大金をつかもうとする人が、たくさんいました。アークライトもすばやく特許をとりました。
アークライトは、1771年にダービーシャーに、新型機をそなえた紡績工場をたて、1779年には、紡績の中心地ランカシャーにも、イギリスいちばんの大工場をつくり、事業をふくらませていきました。蒸気機関ができると、すぐに水力式から蒸気機関にきりかえて、一気に生産力を高め、次から次へと新しい技術をとりいれ、紡績工業を近代化しました。アークライトは、家内工業を工場生産へ発展させるという産業革命への偉大な功績をあげて歴史に名をのこし、しかも一代でたいへんな財産を築きました。しかし、文明を発展させたアークライトに、不満の声もありました。便利な機械を発明することによって、数おおくの労働者から仕事をうばってしまったからです。
以上は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで公開中)6巻「ニュートン・フランクリン」の後半に収録されている14編の小伝の一編「アークライト」をもとに記述したものです。