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鎖国をはじめた徳川家光

今日7月17日は、江戸幕府の第3代将軍として、参勤交代制、キリシタンの禁制、鎖国などを断行して、幕府の全国支配体制を確立した徳川家光(とくがわ いえみつ)が、1604年に生まれた日です。

徳川家光は、2代将軍秀忠の次男として生まれましたが、兄は2年まえに亡くなっていたので、長男のように育てられました。とくに祖父の家康から、将軍家のあとつぎとして深くかわいがられました。

ところが、2年のちに弟の国松が生まれると、両親は、無口でおとなしい家光よりも、きびんで活発な国松をかわいがるようになりました。そして、およそ10年のちに、家康が「世つぎは家光にせよ」と秀忠にいいわたすまでのあいだは、この世つぎをめぐって兄弟でにらみあわねばなりませんでした。

1623年、秀忠は隠居して大御所となり、19歳の家光が天下を治める将軍の位につきました。

しかし、将軍にはなっても、それからの10年間は、将軍らしい権力をふるうことは、なにひとつできませんでした。1632年に大御所が亡くなるまでは、大御所をとりまく幕府最高職の老中たちが、すべての政治をとりしきったからです。

父の死後、28歳の家光は、初めて将軍として活躍するようになり、まず、老中から奉行まで幕府につかえる武士たちの位や仕事をととのえ、強い政治をおし進めるための幕府の体制を固めました。

つぎに、大名をしたがわせるために家康が定めていた「武家諸法度」の力を強めて、全国の大名をかわるがわる江戸によびつける参勤交代の制度を新しく作り、大名たちをさらにきびしくとりしまるようにしました。

いっぽう、豊臣秀吉から徳川家康へとひきつがれてきたキリスト教禁制にも目を光らせ、外国へ行っている日本人が日本へ帰ってくることも、日本の船が外国へ行くことも、ポルトガル船が日本の港へ入ることも、長崎のオランダ人が出島の外へ出歩くことも、すべて禁止してしまいました。外国といっさいまじわらない日本の鎖国を開始したのです。

生涯、家康を心から尊敬していた家光は、1636年には、ばく大なお金をつぎこんで日光東照宮を建て、家康をここにまつりました。そして、1651年46歳で亡くなったときには遺言で、自分のなきがらも、この東照宮にほうむらせました。

家光は、農民たちからは年貢をきびしく取りたてながら、自分はぜいたくな暮らしをして、やがては幕府の財政を苦しめるようになりました。しかし、祖父家康と父秀忠がきずいた幕府を、さらにしっかりしたものにした功績は、のちの将軍たちにたたえられました。

以上は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで公開中)25巻「徳川家康・松尾芭蕉・近松門左衛門」の後半に収録されている7編の「小伝」の一つ 「徳川家光」をもとにつづりました。


「7月17日にあった主なできごと」

1795年 円山応挙(まるやま おうきょ)死去…江戸時代中期の絵師で、『雪松図屏風』(写真)など、写生を重視した日本画を完成した 円山応挙 が亡くなりました。

Okyo_Pine_Trees.jpg

1868年 江戸が東京となる… 明治天皇 は、幕府のあった江戸を東京と改め、首都としました。これまでの首都は京都にあり、東京は京都の東にあたるため「東京」となりました。

投稿日:2009年07月17日(金) 09:04

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)