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日本洋画の父・黒田清輝

今日7月15日は、「むらさき派」と呼ばれる明るい色調の『湖畔』、『読書』などの作品を描き、わが国の洋画の発展に大きな功績を残した画家・黒田清輝(くろだ せいき)が、1924年に亡くなった日です。

黒田清輝は、明治、大正時代に生きた洋画家です。1866年に薩摩藩(鹿児島)の身分の高い家に生まれ、幼くして、おじの子爵、黒田清綱の養子となると、少年時代を東京ですごしました。

清輝は、小学生のころから、絵をかくことにすぐれていました。でも、早くから画家をめざしたのではありません。

1887年に、21歳でフランスへ留学したときは、政治、法律を学ぶことが、大きな目的でした。

パリの学校で学んでいたときのこと。ある日、やはり日本からきていた画家の藤雅三に、通訳をたのまれました。相手の人はパリでも名高い画家のラファエル・コランでした。すると、コランの絵に、すっかり心をうばわれてしまいました。

清輝は、法律などの勉強のかたわら、コランのアトリエへかよって、絵を習い始めました。そして、しばらくすると、ほかの勉強はうちすてて、絵ひとすじにうちこむようになりました。少年時代にみせた絵の才能が、コランの光をうけて花開き、画家の道へ足をふみ入れていったのです。

清輝は、およそ2年、コランのもとで学んだのち、パリのはずれのグレー村で、人物画や風景画にとりくみつづけました。そして、本を読みふける娘をえがいた『読書』が展覧会に入選すると、わずか数年で、新しい画家としてみとめられました。

1893年、27歳で日本へ帰ってきた清輝は、日本洋画家たちをあっとおどろかせ、たちまち、人気画家のひとりになりました。そのころの日本の洋画は、黒や茶色などをおおく使った暗い絵の時代でしたが、清輝がパリでえがいてきた絵は、どれも、日本の画家にはとても想像できないほど、明るい色彩につつまれていたからです。帰国ごも『舞妓』『夏木立』などの作品を次つぎにえがき、青などの明るい色をおおく用いたことから、「むらさき派」とよばれて、とくに若い画家たちに広くしたわれました。

1896年、東京美術学校(いまの東京芸術大学)に初めて洋画科ができると、いちはやく教授にむかえられました。また、同じ年に、パリ時代に知りあった画家たちを中心に白馬会をつくり、青木繁などのすぐれた画家を育てていきました。清輝の代表作のひとつとされている『湖畔』は、この白馬会の展覧会に出品して人びとの注目を集めたものです。

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そのごの清輝は、文部省美術展覧会(文展)の審査委員、帝国美術院の第2代院長などをつとめ、1924年に世を去りました。日本の洋画の発展に大きな功績を残した、58歳の生涯でした。

以上は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで公開中)34巻「夏目漱石・野口英世」の後半に収録されている14編の「小伝」の一つ 「黒田清輝」をもとにつづりました。

投稿日:2009年07月15日(水) 09:02

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)