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ブロンテ3姉妹作家 

今日7月30日は、19世紀半ばのイギリス文壇に花開いたブロンテ3姉妹シャーロット・エミリー・アンのうち、『嵐が丘』を著したエミリーが、1818年に生まれた日です。

孤児として暗い環境に育った家庭教師ジェーンの半生を語りながら、おさえつけられた女性の、愛と自立と自由への訴えをえがいた『ジェーン・エア』。

風のふきすさぶ荒野を舞台に、2つの家の、3代にわたるのろわれた恋と復讐をえがいた、悲劇『嵐が丘』。

『ジェーン・エア』の作者、シャーロット・ブロンテと、その妹で『嵐が丘』の作者エミリー・ブロンテは、1816年と1818年にイギリスのヨークシャーで生まれました。父は牧師でした。

兄弟は6人でした。しかし上のふたりは10歳をすぎると短い生涯をとじてしまい、残された4人の兄弟は、伯母に育てられました。荒れはてた土地と、さびしい家での生活には楽しいことは少なく、兄弟は、毎日、本を読み、本にあきると夢や空想を語りあい、その夢や空想を詩や物語に書いてすごしました。

シャーロットもエミリーも、いちばん下の妹のアンも、20歳のころから、学校の先生や家庭教師になりました。そして、やがては、自分たちで小さな学校を開く計画をたてました。でも、この計画は、たったひとりの男の兄弟ブランウェルが、酒と麻薬でふつうの生活ができなくなってしまったことや、生徒が集まらなかったことで、実現しませんでした。

3人の姉妹は、4年ごとの誕生日に、それぞれ書いたものを出しあう約束をして、詩や小説を書き始めました。ところが詩集は、わずか数冊しか売れませんでした。

3人は、けっしてがっかりしてしまうことはなく、こんどは小説にとりかかりました。

それから1年、シャーロットは『ジェーン・エア』を、エミリーは『嵐が丘』を、アンは『アグネス・グレー』を出版しました。国じゅうの人びとは、3人の姉妹がそろって本を出したことに、おどろきました。しかしなかにはシャーロットが妹たちの小説も書いたのだろう、と疑う人もありました。

姉妹は、またたくまに有名になりました。でも、兄弟がよろこびあえたのは、たった1年。本を出版した翌年にはブランウェルとエミリーが病死しました。そしてアンもまたつぎの年に、シャーロットも6年ごに、39歳の若さでこの世を去ってしまいました。

姉妹の一生は、けっして幸福とはいえませんでしたが、それにも屈せず、永遠の名作を残したのです。

以上は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで公開中)10巻「リンカーン・ダーウィン・リビングストン」の後半に収録されている7編の小伝の一編「ブロンテ姉妹」をもとに記述したものです。


「7月30日にあった主なできごと」

1863年 フォード誕生…流れ作業による自動車の大量生産に成功し「世界の自動車王」といわれる実業家 フォード が生まれました。

1898年 ビスマルク死去…プロイセン王の右腕として鉄血政策を推進し、1871年ドイツ統一の立役者となった ビスマルク が亡くなりました。

1911年 明治天皇死去…王政復古をなしとげ、近代国家の形を整えた 明治天皇 が亡くなり、大正天皇が即位しました。

1947年 幸田露伴死去…『五重塔』などを著し、尾崎紅葉とともに「紅露時代」と呼ばれる時代を築いた作家 幸田露伴 が亡くなりました。

1965年 谷崎潤一郎死去……『細雪』『春琴抄』『痴人の愛』などの小説や『源氏物語』現代語訳を著した作家の 谷崎潤一郎 が亡くなりました。

投稿日:2009年07月30日(木) 09:01

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)