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ハーメルンの笛吹き男

今日6月26日は、ドイツ民話にある「ハーメルンの笛吹き男」が1284年、130人の子どもたちを連れたまま失踪した日です。

ハーメルンは、北ドイツのヴェーゼル川に面した、ドイツ・メルヘン街道沿いにある都市です。「ハーメルンの笛吹き男」の話は、グリム兄弟 らによって記録された民話ですが、ハーメルン市の公式記録文書にも記載されている実際に起こった失踪事件です。

この話にはいくつかの異なったバージョンがありますが、およそこんなストーリーです。

この年、ハーメルンの町にはネズミが大量発生していました。何百匹、何千匹と、町のいたるところを占領し、住人はネズミの被害に悩まされていました、そして、その数は日に日にふえていきます。ネコやイヌをけしかけても、逆にネコやイヌがネズミに襲われて逃げ出す始末。市長や議員たちは、1千ギルダーという懸賞金まで出してネズミ退治にやっきになりますが、どんな挑戦者も成功しません。

市長たちがあきらめかけたとき、長いぼろのガウンをまとった見知らぬ男が現れ、ネズミ退治をするというので、市長は退治ができたら賞金を出すと約束しました。

『さっそく、男は笛を軽く唇に当てました、するとかん高い調べが町じゅうにひびき渡りました。その調べが風に乗ってさらに遠くの方へ流れるにつれ、何かが起こりはじめました。まず、軍隊が行動を起しているかのような、ガヤガヤ、ゴーゴーという音が聞こえてきました。つぎは騒ぎまわる音やざわめく音が聞こえ、さらにキュウキュウ、チュウチュウという音が聞こえ、ネズミたちが家からどんどん出てきます。窓から、ドアから、屋根裏部屋や地下室から、あらゆる隅やかくれ穴から……。

あらゆる種類のネズミがいました。大きなネズミに小さなネズミ、黒いネズミに灰色のネズミ。抜け目のないすばしっこいのもいましたし、のろまでネズミらしくないのもいました。お父さんネズミ、お母さんネズミ、姉妹ネズミ、兄弟ネズミ、みんなどんどん出てきました。すぐに笛ふきはネズミに囲まれてしまいました。あたりは暗くなりかかりましたが、笛ふきは通りをどんどん進んでいきました。ネズミたちは、笛吹きの後をぞろぞろぞろぞろ追いかけます。

笛吹きは落ち着いた足どりで町からねずみたちを連れ出し、広いヴェーゼル川までやってきました。まだ笛を吹きながら。男はボートに乗りこみ、深みへとボートを動かしました。いつまでも続くドブンドブンという音とともに、ネズミたちは暗い川にとびこみました。こうしてネズミたちは溺れ死にました、最後の1匹までも……』(「レディバード100点セット」笛吹き男より)

こうしてハーメルンの町はネズミの被害から救われました。ところが、男が町へ戻ってくると、金をやるのが惜しくなった市長たちは、礼をいうどころか、手のひらを返したような態度で「そんな約束をしたおぼえはない。薄汚い乞食め、とっとと町から出て行け」というのです。激怒した男は町から出て行きました。

それからしばらくたった6月26日、あの笛吹き男が、再びハーメルンに現われました。やがて男は路上で笛を吹き鳴らしはじめました。すると、あの時のネズミと同じように、たくさんの子どもたちが男のもとへ走りよってきました。そうして集まった合計130人の子どもたちはみんな、笛の音に合わせて踊りながら、楽しげに男のあとをついて通りを抜け、町を出ていき、山の洞窟の中に誘われるように入っていきました。それ以来、笛吹き男も洞窟に入った子どもたちも、二度ともどってくることはありませんでした……。

なお、「ハーメルンの笛吹き男」の詳しい内容は、「いずみ書房のホームページで公開中の「レディバード100点セット」第43巻「笛吹き男」の参考訳をご覧ください。


「6月26日にあった主なできごと」

1945年 国際連合憲章の調印…4月25日からドイツまたは日本に宣戦している連合国50か国の代表がサンフランシスコに集まり、国際連合設立のためのサンフランシスコ会議を開き、この日国際連合憲章が採択されました。国際連合の発足は、同年10月24日で、最初の加盟国は51か国。主な活動目的は国際平和の維持、経済や社会などに関する国際協力の実現です。日本が国際連合に加盟したのは1956年12月、80番目の加盟国でした。現在の加盟国は192か国。

投稿日:2009年06月26日(金) 09:14

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)