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盲目の邦楽家・宮城道雄

今日6月25日は、『春の海』など、琴を主楽器とする日本特有の楽曲(箏曲<そうきょく>)の作曲者、演奏家として世界に名を知られた宮城道雄が、1956年愛知県の刈谷駅近くで急行列車から誤って転落して亡くなった日です。

宮城道雄の作曲した『春の海』をきくと、おだやかな春の日ざしをあびた静かな海の風景が、眼の前にうかんでくるようです。琴と尺八という日本の伝統的な楽器をつかいながら、この曲はこれまでの邦楽(日本の音楽)とはまるでちがった新しい曲になっています。

1894年4月、神戸市三宮に生まれた道雄は、小さいときから悪かった眼が、8歳のころにはまったく見えなくなってしまいました。父は、盲目でも生きていくことができるようにと、道雄を中島検校という琴の先生に弟子いりさせました。中島検校の教え方はきびしいものでした。「千べんびき」といって、冬の寒い日でもまどをあけはなしたまま、同じ曲を1週間つづけてひくのです。寒さで指がかじかみ、血のふきでることもありました。しかし、琴をひく手を少しでもやすめれば、先生からひどくしかられます。道雄は歯をくいしばって練習にはげみました。

11歳のとき、朝鮮(今の韓国)で行商をしていた父がけがをして入院したため、お金を送ってこなくなりました。祖母と暮らしていた道雄は、先生のかわりにほかの弟子たちに琴を教えてやっと生活を立てていきました。13歳の時には、父のいる朝鮮の仁川にわたりましたが、ここでも道雄は琴と尺八を教えて、一家をやしなわなければなりませんでした。

こうした生活のなかでも、音楽に打ちこんだ道雄は作曲をはじめ、15歳のとき、『水の変態』を作りました。これは、雲、雨、雪とさまざまにすがたを変えてゆく水のふしぎを曲にしたもので、今も名曲として親しまれています。また、西洋音楽のレコードをたくさんきいて「邦楽にも西洋音楽のよさをとり入れて、新しい音楽を作りだそう」と考えました。

1917年、道雄は東京に出ました。そして『落葉の踊』『秋の調』『さくら変奏曲』などを作曲するとともに、新しい型の琴を作って、邦楽に新しい生命をふきこみました。

1933年、フランスの女性バイオリニスト、ルネ・シュメーが日本にきました。シュメーは『春の海』がとても気に入って、尺八の部分をバイオリンで演奏するように編曲して、道雄の琴と合奏しました。演奏会は大成功でした。シュメーは、外国でもこの曲を演奏し、レコードにもなりました。そして『春の海』とともに宮城道雄の名は世界に知られることになりました。

以上は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで公開中)36巻「宮沢賢治・湯川秀樹」の後半に収録されている14編の「小伝」の一つ 「宮城道雄」をもとにつづりました。

なお、宮城道雄は随筆家としての評価も高く、オンライン図書館「青空文庫」 では16編を公開しています。また、音楽配信で著名な 「ユーチューブ」 では、『春の海』などたくさんの作品を視聴することができます。


「6月25日にあった主なできごと」

1950年 朝鮮戦争の勃発…第2次世界大戦での日本の敗戦によって、植民地から解放された朝鮮でしたが、自ら独立を勝ち取ることができず、38度線を境に、アメリカの支援する韓国と、ソ連・中国の支援する北朝鮮に分かれました。この日、北朝鮮が38度線を突破して韓国に侵入、3年余りも続く朝鮮全土を戦場とする「朝鮮戦争」がはじまりました。この戦争で朝鮮半島は荒廃し、両国は3年後に休戦をしましたが、平和条約を結ばないまま、現在に至っています。

投稿日:2009年06月25日(木) 09:02

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)