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イタリア統一の闘士・ガリバルディ

今日6月2日は、19世紀中ごろまでたくさんの国に分かれていた上、フランスやオーストリアなどに支配されていたイタリアを、イタリア王国として統一させたガリバルディが、1882年に亡くなった日です。

ジュゼッペ・ガリバルディは、1802年に、今では地中海に面する世界的に有名な観光都市であるニース (当時、皇帝 ナポレオン 1世による軍事独裁政権─第一帝政下のフランス領) に生まれました。成人して船乗りとなったガリバルディが、初めて戦いの火をかかげたのは、27歳のときでした。統一運動の指導者マッチーニが結成したイタリア青年党に加わり、イタリア北部を支配するオーストリアへ、革命の反旗をひるがえしたのです。しかし、革命は失敗に終わり、死刑を宣告されてしまいました。

ガリバルディは、南アメリカへのがれました。そして、14年のあいだ、南アメリカ各地の独立戦争や革命に義勇兵としてとびこみ、民族の自由のために戦いつづけました。

1848年、イタリア北西部のサルデニャ王国が、オーストリアからの解放をめざして立ちあがったのを知ると、ガリバルディはまっしぐらに祖国へもどり、義勇兵をひきいて戦いました。しかし、またも敗れ、ふたたびアメリカへ渡りました。でも、革命への情熱を失ったわけではありません。1854年には地中海のカプレラ島までもどり、つぎの戦いの日をまちました。

1859年、すでに52歳になっていたガリバルディは、イタリア北部へかけつけました。サルデニャ王国が、イタリア統一をめざして、またも奮い立ったのです。

「こんどこそ、祖国をひとつにするのだ」

ガリバルディは、王国軍の指揮官となって、オーストリア軍を打ち破りました。また、南へ下ると、赤シャツ隊とよばれた1000人の義勇兵をひきいて戦い、たちまちのうちに征服したシチリア島とナポリ王国を、サルデニャの王にささげました。

1861年、イタリア王国が生まれ、ガリバルディは、夢を果たしたよろこびを胸にしまって、カプレラ島へひきあげました。自分のてがらに対する栄誉は、何も求めませんでした。

ガリバルディは、そのご、こんどはローマへ兵を進めました。イタリア王国が生まれてからも、ローマは、まだフランス軍に支配されていたからです。ところが、思いがけないことに、フランスとの戦いをおそれる味方のイタリア軍に捕えられて、カプレラ島へひきもどされてしまいました。60歳をすぎたガリバルディは、テベレ川の治水工事などにも力をつくし、67歳のときにはイタリア議会にもまねかれました。

75歳で幕を閉じたガリバルディの生涯は、まさに英雄の名にふさわしく、はげしく、勇ましいものでした。

以上は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中)9巻「スチーブンソン・シューベルト・アンデルセン」の後半に収録されている7編の「小伝」の一つ 「ガリバルディ」 をもとにつづりました。約100名の伝記に引き続き、2月末より300余名の「小伝」を公開中です。


「6月2日にあった主なできごと」
 
1582年 本能寺の変… 織田信長 の重臣明智光秀がむほんを起こし、13000人の軍勢を率いて、京都の本能寺に宿泊していた主君信長を襲いました。信長は、弓や槍で応戦しましたが、手勢はわずか100人ほど。ついに、燃えさかる火の中で、自刃しました。天下統一を目前にした波乱に満ちた生涯でした。

1953年 エリザベス2世戴冠…1952年にイギリス国王に即位したエリザベス2世女王の戴冠式が、ロンドンのウェストミンスター寺院で行なわれました。女王パレードには、100万人以上の人が歓迎したと伝えられています。元首の地位は名義的なものであっても、イギリス連邦の団結や各国との親善の役割には大きなものがあります。

投稿日:2009年06月02日(火) 09:25

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)