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三重苦の聖女・ヘレンケラー

今日6月1日は、生後19か月で目・耳・口の機能を失いながらも、著述家、社会福祉事業家として活躍したアメリカのヘレンケラーが、1968年に亡くなった日です。

1880年、アメリカ・アラバマ州の北部タスカンビヤの町に生まれたヘレンケラーは、1歳7か月目に、原因不明の高熱と腹痛におそわれました。医師の努力でなんとか一命だけはとりとめましたが、ものを見ることも、聞くことも、話すこともできない盲聾唖(ろうあ)者になってしまいました。

両親はたいへん悲しんで、何とかこの不幸せなわが子を治したいと名医を訪ねたりしましたが、なかなかその方法を見つけることはできませんでした。でも、視力や聴力の回復は無理でも、視聴覚障害者にも立派に教育していくことは可能であるという確信を得ました。

ヘレンケラーが7歳になったある日、父親は、電話の発明者で障害者教育につくしていた グラハム・ベル を訪れ、その紹介で盲学校の校長に手紙を出しました。そして、ヘレンケラーのために家庭教師のあっせんを依頼し、やってきたのが21歳のアニー・サリバンでした。同校を優秀な成績で卒業したばかりのこのサリバン先生こそ、その後50年間ヘレンのよき半身となり、聖女といわれるまでにヘレンケラーを育てあげた[偉大なる教師] その人でした。

サリバン先生の献身的な指導、本人の不屈の闘志で障害を乗り越え、1904年ハーバード大学を優等で卒業。二人の努力と精神力は障害をもつ人々に希望を与え、その多彩な活動ぶりは、いずみ書房のホームページで公開しているオンラインブック・せかい伝記図書館・17巻 「ヘレンケラー」 をご覧ください。

投稿日:2009年06月01日(月) 09:17

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)