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幼稚園の父・フレーベル

今日4月21日は、世界で初めて幼稚園をつくるなど、小学校就学前の子どもたちのための教育に一生を捧げたドイツの教育者フレーベルが、1782年に生まれた日です。

チューリンゲン地方の牧師の家に生まれたフリードリヒ・フレーベルは、満1歳にならないうちに母を亡くし、愛にうえた、さびしい少年時代をすごしました。のちに教育家となったフレーベルは「子どもの教育には、母の愛がなによりたいせつである。母と子を切りはなすことはできない」といっています。

フレーベルは、1800年にイエナ大学へはいりましたが、お金がつづかず、とちゅうでやめなければなりませんでした。そのころ、教育の改革をとなえる ペスタロッチ というスイスの教育学者が、かつやくしていました。フレーベルは、ペスタロッチの「子どもに知識をつめこむのではなく、生まれつきもっている芽を、愛の力でのばす」という考えかたに心をうたれ、教育にうちこむ決意をかためました。1805年、フレーベルはフランクフルト・アム・マインにいって、ペスタロッチの弟子グリーナが校長をしている小学校で、教師とはどのような仕事なのか学びました。1816年からは、いよいよ自分の学園をひらき、学んだ教育論を実行にうつしました。

子どもには、いろいろな才能がかくされている、とフレーベルは考えました。教師や親は子どもの才能をのばし、創造の心を正しくみちびかなくてはならない、というのがフレーベルの理論です。この理論と、じっさいに学園でおこなっていることを『人間の教育』という本にまとめました。この本は、のちの学者たちに大へん影響をあたえましたが、そのころの政府や教会の考えかたには合わないものでした。そして、フレーベルは、ひどいこうげきをうけました。

迫害をうけても、フレーベルは、教育にたいする情熱をもやしつづけました。1840年には、チューリンゲンにキンダー・ガルテンを建てました。世界で初めての幼稚園です。フレーベルはドイツじゅうを歩いて、幼稚園をつくる運動に力をそそぎました。幼稚園の先生を養成する講習会をひらき、教育者のための研究所も建てました。みずから、つみ木やまりなどの遊び道具を考えだし、子どもの創造心をひきだす道具にしました。

フレーベルの幼稚園は、1851年に政府から禁止されてしまいます。フレーベルは、そのよく年の1852年に亡くなりました。のちにフレーベルの考えはおおくの教育者たちによってうけつがれ、人びとも子どもの教育のたいせつさをみとめるようになりました。そして、世界じゅうに幼稚園がつくられました。

以上は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中)8巻「モーツァルト・ナポレオン・ベートーベン」の後半に収録されている7編の「小伝」の一つ 「フレーベル」 をもとにつづりました。約100名の伝記に引き続き、2月末より300余名の「小伝」を公開しています。


「4月21日にあった主なできごと」

1583年 賤ヶ岳の戦い… 豊臣(羽柴)秀吉 はこの日、賤ヶ岳(しずがたけ)の戦いで柴田勝家を倒し、織田信長 後継の最大のライバルを葬って天下統一の道をさらに一歩進めました。信長の妹であるお市の方は、浅井長政と結婚して三人の娘(のちに長女 茶々は秀吉側室=淀殿に、次女 初=京極高次正室、三女 江=徳川秀忠正室)を設けますが、やがて長政が信長に滅ぼされたのち、柴田勝家の妻となっていました。この戦いでお市の方は、娘たち三人を脱出させ、勝家とともに死んでいきます。このあとの三姉妹の行動、特に茶々(淀君)の行動は、母お市の方の無念を晴らすためだったのではないかという説もあるなど、お市と浅井三姉妹の波乱に満ちた生涯は、たくさんのドラマに描かれてきました。

1910年 マークトウェーン没…「トムソーヤの冒険」「ハックルベリーフィンの冒険」「王子とこじき」など、わんぱくな自然児と少年たちの冒険物語を著したアメリカの作家 マークトウェーン が亡くなりました。

1951年 民間放送の日…民間放送16社に予備免許がおりて、これまでNHKだけの放送から、さまざまな局の番組を選べるようになりました。本放送はこの年の秋、ラジオ放送がスタートしました。

投稿日:2009年04月21日(火) 09:06

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)