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江戸幕府を開いた徳川家康

今日4月17日は、応仁の乱以降100年以上も続いた戦乱に終止符を打ち、織田信長、豊臣秀吉により統一された天下をさらに磐石のものとした徳川家康が、1616年に亡くなった日です。家康は、日光東照宮や久能山東照宮などで「東照大権現」(とうしょうだいごんげん)としてまつられています。

1542年に生まれた徳川家康は、とてもつらく苦しい少年時代をすごしました。父親は、三河の岡崎(愛知県岡崎市)の城主でした。当時の岡崎は、東に今川氏、西に織田氏にはさまれ、今にもどちらかに攻められそうな状態だったため、家康は5歳から8歳までは織田氏の人質に、8歳から18歳までは今川氏の人質として、苦労の多い生活を送らざるをえませんでした。そのため人質にとられたこの時期に、人一倍の忍耐力と、人を見抜く感覚を身につけたに違いありません。

家康に転機がおとずれたのは、18歳のとき、織田信長 が今川義元をやぶった桶狭間の戦いでした。今川氏の味方をして出陣をしていた家康は、すばやく生まれた岡崎城にもどると、まもなく織田信長と同盟を結び、三河や駿河を手に入れ、東海一の大名となりました。さらに信長が本能寺の変で亡くなると、こんどは 豊臣秀吉 に協力しました。秀吉が小田原の北条氏をせめると、これに従って手柄をたて、関東地方に領地を与えられました。当時の関東は水害が多く、あまり魅力のある土地ではありませんでしたが、家康は家臣たちの不満をものともせず、ありがたくもらいうけ、やがて江戸に城をかまえました。

56歳のとき、秀吉は死に、それからわずか2年、1600年の関が原の合戦で豊臣方の 石田三成 らをやぶって天下をとり、1603年に征夷大将軍となって江戸幕府を開きました。2年後に長男の秀忠に将軍職を譲りますが、政治の実権はしっかり握って、およそ260年続く江戸幕府の基礎をきずいたのです。

徳川家康の詳しい生涯につきましては、いずみ書房「せかい伝記図書館」 (オンラインブック「徳川家康」) をご覧ください。


「4月17日にあった主なできごと」

723年 三世一身法… 聖武天皇 が即位したこの年、農民の人口が増え、耕地が不足したため、田地を開墾した者には、本人・子ども・孫の代まで、その土地の所有を認める「三世一身法」を、この日公布しました。当時は、土地の所有は認められず、班田収授制によって貸与された土地からの何割かを「租」として納める制度でした。

1895年 下関条約調印…1894年7月に始まった日清戦争は、日本の勝利に終わりましたが、この日山口県下関市で、日清戦争の講和条約のための下関条約が調印されました。朝鮮独立の承認、日本へ台湾および遼東半島の割譲、賠償金3億円(当時の国家予算の3〜4倍)の支払いなどを約束した内容でした。しかし、1週間後の23日、ロシア・ドイツ・フランス3国が、遼東半島を還付するよう勧告した「三国干渉」を受け、武力でおとる日本はこれを返還し、4700万円の代償金を受けました。以降、日本はロシアに対し、強い反感を持つようになり、日露戦争の遠因になります。

投稿日:2009年04月17日(金) 09:04

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)