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タイタニック号の沈没

今日4月14日は、1912年、豪華客船タイタニック号が、処女航海の途上、カナダ・ニューファンドランド沖で氷山に衝突した日です。

1912年4月14日の夜、イギリスの豪華客船タイタニック号は、北大西洋のニューファンドランド沖にさしかかっていました。タイタニック号は、イギリスで造られた全長260メートル、46000トンの巨船で、当時世界一といわれていました。2200人以上もの乗客をのせ、イギリスのサウサンプトン港からニューヨークにむけた初めての航海に出て、4日目のことでした。

タイタニック号の甲板で見張りをしていた船員は、前方の闇のなかに、はば450m、高さ20mほどの氷山がただよっているのを肉眼で発見し、はっとしました。氷山というのは、海の上に頭を出している部分は、全体の1割もなく、大部分が海の中に隠れています。「大変だ、氷山だ!」と、大声で叫びました。

船員たちは、急いで進路を変えようとしましたが、遅すぎました。氷山は客船の横腹をかすめると、ぶきみな音をたてて停船しました。船員たちはあわてふためいている乗客たちに、落ち着くようによびかけるいっぽう、船長は遭難信号を打ちださせ、救助をもとめました。

すぐに船内に用意されていた16隻の救命ボートがおろされましたが、短時間で沈没するような事態は想定されていなかったために、1178人分しか用意されていませんでした。そのため、まず子どもと女性が先にのせられました。

たくさんの乗員乗客が本船から脱出できないまま、衝突から2時間40分後の夜中の2時20分、轟音と共にタイタニック号の船体は2つに大きく割れて、ついに海底に沈没したのです。

SOSの信号を受け、翌朝1艘の汽船が救助にむかい、海の上をさまよい続けた人たちのうち675人をなんとか助けだしましたが、残りの1500人余りは、ついに海のもくずとなってしまったのです。

1997年、この海の惨事を背景にした劇映画「タイタニック」が制作・公開されたので、ご覧になられた方もたくさんおられることでしょう。「タイタニック」は大ヒットし、全世界興行収入が18億3500万ドルと、映画史上最高の興行収入を記録し、いまだにこの記録は破られていないそうです。

貧しい青年ジャック(レオナルド・ディカプリオ)は、出港直前にポーカーに勝って、船のチケットを手に入れ乗りこみます。故郷であるアメリカに帰れることになった画家志望のジャックは、政略結婚のためにアメリカに向かうイギリスの上流階級の娘ローズ(ケイト・ウィンスレット)と運命的な出会いを果たし、2人は互いにひかれ合います。しかし、航海半ばの深夜、タイタニック号は氷山と接触。船はゆっくり、確実に沈みはじめました……こうした緊迫感にみちあふれた、良質の恋愛映画に仕立て上げられたことが成功の要因といわれています。

なお、「タイタニック」という名は、ギリシャ神話に登場する巨大で剛健無双な神「ティーターン(タイタン)」に由来します。


「4月14日にあった主なできごと」

1865年 リンカーン撃たれる…「奴隷解放の父」といわれるアメリカ合衆国16代大統領の リンカーン は、南北戦争の終わった5日後のこの日、ワシントンの劇場で南部出身の俳優にピストルで撃たれ、翌朝56歳の生涯を閉じました。

投稿日:2009年04月14日(火) 09:22

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)