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アメリカ民主主義の父・ジェファソン

今日4月13日は、第3代アメリカ合衆国大統領で、イギリスからの独立宣言文を書いたジェファソンが、1743年に誕生した日です。

「人間には生まれたときから、自由と平等を求める権利が与えられ、国は、それを守る権利が与えられ、国は、それぞれを守る義務がある」

この歴史に残るアメリカ独立宣言を書いたトマス・ジェファソンは、1743年、イギリスの植民地だったバージニアで生まれました。父は、農場をいとなむかたわら、バージニア議員もつとめた、教養の高い人でした。

ジェファソンは、開拓者たちの自由な心を受けついで育ち、早くからギリシア語やラテン語を学んで、16歳で大学へ進み政治、法律、哲学、自然科学などを幅広く学びました。

大学を終えると弁護士の仕事を始めました。しかし、年がたつにつれて、すべての人が幸福になるための政治について考えるようになり、26歳で、植民地議会の議員になりました。

このころ、北アメリカ大陸のイギリス植民地では、高い税金や商品をおしつけようとするイギリス本国への不満がつのり、植民地の独立を叫ぶ声が強まっていました。

1775年、ついに植民地の人びとは立ちあがり、イギリス本国との間でアメリカ独立戦争を始めました。そして、つぎの年は13植民地の代表が集まって会議を開き、アメリカの独立を宣言しました。ジェファソンは、このときバージニアの代表として会議に加わり、政治に対する考えの深さがみこまれて、人間の自由と平等をたたえる独立宣言文を書いたのです。

アメリカの独立は、1783年に達成しました。ジェファソンは、初代大統領ワシントンのもとで国務長官を、第2代大統領ジョン・アダムスのもとでは副大統領をつとめたのち、1800年に、アメリカ合衆国第3代大統領になりました。

「人間の自由と平等のために戦った独立戦争の精神を、いつまでも忘れてはならない」

大統領ジェファソンは、国の政治はおおくの人たちの考えで決めるという、共和制をたいせつにしながら、民主主義の基礎を固める政治を進めました。また、1803年には、フランスのナポレオン1世から、北アメリカ中央部の広大なルイジアナ全土を買い求め、合衆国の国の広さを、それまでの2倍にしたばかりか、西部への発展のきっかけをつくりました。

「国の政治を同じ人間が長く受けもってはいけない」というワシントンの考えに習って、大統領は2期で、自分からしりぞきました。そして66歳で故郷へ帰ったジェファソンは、バージニア大学を建てて教育に力をつくしたのち、1826年に83歳で亡くなりました。アメリカ民主主義の父として、いまもたたえられています。

以上は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中)7巻「ワシントン・ペスタロッチ・ジェンナー」の後半に収録されている7編の「小伝」の一つ 「ジェファソン」 をもとにつづりました。約100名の伝記に引き続き、2月末より300余名の「小伝」を公開しています。


「4月13日にあった主なできごと」

1592年 文禄の役…1590年に全国統一をはたした 豊臣秀吉 は、中国の「民」を支配下におこうと、この日第1次出兵として加藤清正や小西行長らの率いる兵16万人を釜山に上陸させました。これは「文禄の役」といわれ、その後ソウルを陥落させましたが、ともに攻めあぐね、よく年休戦をしました。

1612年 巌流島の決闘… 宮本武蔵 と佐々木小次郎が、山口県の巌流島で、この日決闘を行ないました。武蔵は、約束の時間に遅れて小次郎をいらだたせ、「小次郎敗れたり」と叫んで相手の動揺を誘い、舟の櫓で一撃のもとに小次郎をたたきのめしたといわれています。この有名なシーンは、小説、映画、テレビドラマなどでおなじみです。

1912年 石川啄木死去…「はたられど はたらけど なおわがくらし 楽にならざり じっと手をみる」などたくさんの短歌や詩、評論を残し、民衆歌人、天才詩人といわれた 石川啄木 が、この日わずか26歳でなくなりました。啄木の主要な作品は、オンライン図書館「青空文庫」で読むことができます。

投稿日:2009年04月13日(月) 09:26

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)